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新しい言語を始める前に気をつけること

 ほとんどの人は外国語として英語を勉強されますが、他の外国語を新たに身につける場合は気をつけることがいくつかあります。それを考慮にいれないと別の面で苦労することがあります。

 まず、その言語を身につけるということは、その言語を話している人たちの考え方や文化を自分の人生の一部にもすることになります。特にマイナー言語を勉強する場合はよくよく考える必要があると思います。

 例えば、アラビア語やインドネシア語、マレー語をやる場合、必然的にイスラム文化に接することになります。これら言語を話す人のほとんどがイスラム教徒だからです。彼らの話す内容に多くのイスラム教の概念が含まれます。イスラム教に偏見があるとこれらの言語は難しくなり、進めていくうちに嫌になってくることにもなるでしょう。宗教的な背景は言語には大きな影響を与えており、英語でさえもキリスト教の背景なくしてわからないことがたくさんあるのと同じです。

 僕はインドネシア語やマレー語を20年以上話しています。これら言語はイスラム教に関連した単語や表現が含まれます。なので、イスラム教の背景が少なくとも理解できないとなかなか使っていくのは難しい。イスラム教についてもだいぶ勉強はしましたが、その知識がある程度あるおかげでローカルとスムーズに意思疎通を取ることができるようになっています。

 また、仏教国のタイやカンボジアで話される言語も同様で文化的背景を理解してないとわからないことがよくあります。これには歴史的な背景も関わることがあるため、その言語をやろうと思う前にこういった情報は少しでも理解してから始めるに越したことはありません。それがあるのとないのとでは、その言語の上達具合にも少なからず響くような気がします。

 僕がカンボジア語をやっていたとき、テキストに次の例文がありました。

・あの家族は皆殺しに遭いました。
・彼のお父さんは殺されました。

 ぎょっとする例文なので最初は「なぜこんな例文が出てくるのだろう」と不思議でなりませんでした。しかし、カンボジアに行って話をすると、驚くことに実際似たような会話が出てくるのです。何せ国民の200万人が虐殺された歴史があり、いまだにその影響があるためです。そのため、会話の中で「彼のいとこの家族は皆殺しにあったんだよ」という会話がふと出てくるのです。これは虐殺という歴史を知らないと理解できないでしょう。

 また、カンボジア語で「かまど」や「薪」という単語が初級の本で出てきます。英語ではこういった単語は初級の本には出てきませんが、カンボジアに行ってみると納得。かまどや薪が道端の屋台で使われているのです。つまり、よく使う代物なので初級の本に出てくるわけです。これは経済格差が先進国とはまるで違うということを物語っています。この格差は実際目で見るとカルチャーショックにも似た衝撃を受けます。この格差を自分が許容できるかどうかというのはとても大切です。

 また、貧しい国で話されている言語をやるということは、そういう経済状況の人たちとも付き合うということになります。そうなると、言語をできるがゆえに結構面倒なことに陥ることがあります。「金を貸してくれ」といわれることもしばしば。人間関係で疲れ果てることもよくあるのです。まあ、それは付き合う人によるのでしょうが、貧しい国の人とその言語で付き合うと金銭的な話になることが多くなる気がします。インドネシアではよく若い子からはそういった話が持ち込まれたことがあります。

 ただ、悪いことばかりではなくて、その言語を身につけると、自然と人間関係も変わってきます。これは日本人との間も同様で、特定の言語(特にマイナー言語)を勉強していくとその言語の日本人スピーカーともつながり始め、それまで何の脈絡もなかった人たちとも付き合っていけるという特典も出てくるのです。

 「その言語を身につけたいなあ」と思って勉強される方はいろんな要素を鑑みてから始めたほうが無難です。何せ語学は一回勉強をはじめたら車輪のように原則止めることはできません。一生付き合っていくことにもなります。その言語をやることで人生も変わっていくわけですから。

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