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寝れなくても大丈夫そうになった

いまさっき、どこのテレビ局か、何をモチーフにしたのか分からないけれど
太陽の塔が釣りをしているアニメを見た。

奇妙で、みんなチャンネルをまわす(方言かも)だろうと悲しくなった。でも、そんな杞憂もはねのけて、その子は、釣り🎣をし、船を釣りあげ、丁寧に外し、海に戻して遊んでいた、子どものように。


先日、愛しの祖父の葬儀が執り行われた。
宗教も、通夜もおゆかん?も訳が分からない。
でも、じいちゃんに有難ございました。の難の話をした気がする、知らんけど。

私はどうやら人より思い込みが激しいらしく、思い出補正がかかっている気がして、お手紙には
「たぶん」という言葉をつけた。

でも、おじいちゃんはそれを許してくれていると知っているから。
「そうじゃったやろ」と思い出話を少ししてくれるのを知っているから大丈夫なのだ。

不確定のこと、不安なことをすぐに笑ったり濁す言葉で、グレーにしてしまう癖治したい。
私の中ではそうなのだから。
違ったら違ったで「ああ。そうだったかね」で済む話、田舎では。
都会のルールも、都会の時間の流れも私には早すぎた。
生まれた街では、1秒が10秒にでも、秋の香りが冬の香りにでもなりえる、グラデーションの街で絶対ここに帰ってくると誓った。

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