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新しく走り始めたら心も走り始めた気がする。

新しくなりたくて走り始めました。
マラソン。

私は担任がたまたま陸上部の顧問でした。
中学の時は私は陸上部の短距離走で
タイムを追いかける日々。
走る楽しみは見つけられませんでした。
そして本当に長距離走が苦手でした。

なぜ走るのか。わからなかった。

苦しい。きつい。しか感じていなかったんです。

だけどあれから何十年も経て海へ散歩や
サイクリングをするようになると
走っている人の多さが気になり出して。

なんであんなに走りたいのだろう。


ずっと気になってきました。
私の周りにはマラソンに出る人が
多かったこともありますが
やっぱり誘われても
私には無理。。
そう思ってきました。

だけど、失恋を気に

何か新しく変わりたい。

そう思うようになって
走り方を教えられる資格を持つ友達に
教えてもらうことにしました。

私は学生時代、前へ前へと走ろうとすると
足がもつれていたのに
その人は速く走ることではなく
私の体のクセを見て
疲れない走り方を教えてくれました。

足に意識が行かないのに
前へ進める。
足が前へ前へと行きたがっている感じ。

私は衝撃でした。

辛かったはずなのに
走りたくなる。

走った後には
こんなに進めたんだ。
進んでいたんだ。

そう感じました。

がむしゃらに頑張ろう、なんて思わなくても
全然大丈夫でした。

頭の中がさっぱりして
いろんな私のどろどろの奥深い根のことなど
何も気になりませんでした。

何かがすっと私の中でまた溶けた気がして
耳の横を通り抜ける風の音がしました。

呼吸は苦しくなく
こんなに空気を吸えるのだと
フラれた日には
あんなに手が震え深呼吸だ、と
タバコを吸ってなんとかしのいでいたのに

私は大丈夫だ。

ふとそんな風に
ふわりとなぜだか
本当にそう思えました。

走った距離が大事なんじゃない。
走った速さが大事なんじゃない。

前へ進んでいけるのだと思えたことが
本当の走る意味なのだと思いました。

人生も同じなのだろう。
きっと歩いたり後ろを振り返ったり
立ち止まったり、休んだりしながら
進みたくなったらその時だけは
前だけを向いて
下を見ずに進んでいけたらいいんだ。


比べられてきた走るということ。
競うことでしか
自分を認められなかったこと。

今の私には
必要がないことでした。

朝に教えてもらい、
たっぷりの野菜を食べて
夕方にまた今度は一人で海まで走ってみました。

この景色は私が見た中で一番美しい幻のようで
新しく見えました。

夕陽が波にさらわれて
また波が私を照らしてくれ
全てを流し
全てを戻してくれたようでした。

そばにいてくれた友達。
私を支えてくれた友達。

抱えているものがどんなものであったとしても
今日私達は確かにそこにいて
何かを交わしたように感じました。

よく頑張っている。
よく頑張ってきた。

友達にも自分にもそう言ってあげたい。

また来年の夏に再会しよう。

優しくありたい。

いろんな思いが溢れて
涙が止まらないそんな夜です。


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