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バルセロナ、油壺、アメリカ

アルゴー号の冒険家たちはここで嵐に遭って船を失った。十隻のうち九番目の船だった。ヘラクレスは海岸で残骸となった船を見つけ、そこに町を作った。それが九番目の船を意味する「バルカ・ノナ」、バルセロナだ。

『珈琲と煙草』
フェルディナント・フォン・シーラッハ著
第45章

ヘラクレスはギリシャ神話に登場する英雄である。バルセロナの建設は神話にまで遡る。偶然出会ったこの一説に、私は魅了された。「九番目の船」。なんと美しい響きだろう。

単なる伝説、絵空事ではないかもしれない。少年シュリーマンはギリシャ神話に描かれた都市が実在したと信じ、蓄財し、トロイ遺跡を発見した。

バルセロナの由来には異説がある。

古称バルキノ Barcino に由来。紀元前230年カルタゴの軍司令官バルカス Barcas がこの地を占拠、新しい都市を建設したことにちなむ。(中略)なお、カルタゴの将軍ハンニバルはバルカスの息子。

『外国地名由来辞典』本保正紀著

どうもこちらが定説とされているようだが、いずれにしても、地中海世界には有史以来、悠久の歴史が息づいている。

私は油壺あぶらつぼの由来を想起する。海に臨む、静かで美しい三浦半島の景勝地であり、観光解説板にはこう書かれている。

油壺の名のいわれは、永正十三年(一五一六年)新井城(今の油壺一帯)を最後の居城として立て篭った三浦一族が北条早雲の大軍を相手に、三年間にわたって奮戦しましたが空しくついに全滅し、一族の将三浦道寸義同をはじめその子荒次郎義意は自刃、他の将兵も討死、または油壺湾へ投身したと伝えられそのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したような状態になったので後世「油壺」といわれるようになりました。

三浦市ウェブサイトより

てらてらと反射する水面。諸説あるそうだが、このむごたらしさこそ、油壺の静けさ、美しさを引き立てているように思われる。

さらに私は連想する。1492年、コロンブスがスペインから西へ向かって航海し、インドに達したという報せにヨーロッパは驚嘆した。1503年、西にあるのはインドではなく「新世界」だとする4~6枚のパンフレットが広まった。書いたのは、アメリゴ・ヴェスプッチ。

1507年、『世界誌入門』という印刷物において、若き地理学者ヴァルトゼーミュラーが「アメリクスがこれを発見したのであるから、今日よりアメリクスの土地ないしアメリカと呼ばれてよいであろう」と記す(アメリクスはアメリゴのラテン語表記)。

アメリゴ・ヴェスプッチは、コロンブスによる発見以降の船に乗り、今の南アメリカ大陸に上陸した一介の水先案内人に過ぎない。コロンブスがインドであると信じ続けたのに対し、アメリゴは新世界だとする32ページの書簡をメディチ家に送ったに過ぎない。

その後、北と南の大陸はつながっていることがわかり、どちらもアメリカ大陸と呼ばれた。17世紀、アメリゴはコロンブスによる新大陸発見の功績を奪ったと汚名を着せられる。しかし、一度命名されたアメリカはすでにひとり歩きしていた。

以上は、『ツヴァイク伝記文学コレクション1 』(シュテファン・ツヴァイク著、みすず書房)を読んで知ったことである。新大陸の発見者はコロンブスであるという現在の評価に沿えば、アメリカ大陸はコロンビア大陸のはずであり、USA は USC だった。

ツヴァイクは、一貫してアメリゴの肩を持つ。アメリゴのあずかり知らぬところで誤解や思惑にもてあそばれた。コロンブスの死の直前、アメリゴは宮廷に赴き、インドだと信じた大陸から金銀財宝を持ち帰らずに失墜したコロンブスの名誉回復に努めている。ふたりの間には友情があった。

1942年、ツヴァイクはアメリゴが上陸したブラジルで自殺した。ユダヤ人である彼はナチスから逃れて亡命、リオのカーニバルを見物中、日本軍によるシンガポール陥落の報に触れ、居宅に戻り妻とともに服毒した。『アメリゴ』は1941年に執筆、1944年にストックホルムで出版された。

2016年、ドナルド・トランプが「Make America Great Again」を掲げて大統領に当選、2期目の選挙で敗れ、煽られた支持者は議事堂を襲撃して死者を出した。「USA! USA!」と叫びながら。これもアメリゴのあずかり知らぬところである。

地名を辿る旅は、時空を超えた人類の叡智と浪漫を掻き立てる。一方で、収奪と殺戮の度し難い愚かさに底はなく、終わりもないと認識させる。


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