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ビクトル・エリセの良質なる陰性

私がスペインに惹かれるはじまりは、18歳で読んだヘミングウェイ『日はまた昇る』だった。22歳でスペインに降り立つまでに吸収したのは、堀田善衛の著作とビクトル・エリセの映画だった。

ビクトル・エリセ、83歳。長編を4本しか撮っていない。『ミツバチのささやき』(1973)、『エル・スール』(1982)、『マルメロの陽光』(1992)、『Close Your Eyes(英題)』(2023)。これだけの寡作で、著名な映画監督として世界に知られている。今も昔も、私にとって一番好きな映画監督である。もちろん会ったことはないので人としては保留するとして、撮った映画はとても好きだ。

映画製作というものは関わる人も金も膨大で、さまざまな思惑が絡みあう世界だと理解している。ビクトル・エリセの作品を観ると、なぜ彼が映画監督を務められるのか不思議に思う。こんなにも静謐で詩情が滲む作品を撮ろうとする人物は、映画界でやっていけないと思うからである。

翳る室内。荒涼とした大地。抜けるような青空ではなく、灰色の雲に覆われている。家族はひとところに住しながら、それぞれの生を生きている。群像劇はない。激することもなく、大笑いも号泣もない。難解な抽象性もない。不穏な予感を孕みながら、日々は淡々と過ぎてゆく。静かで陰を帯びた映像に在る温かさ。あぁ、私はこんな陰性を良質として幸せを感じる人間なのだ、と思い知らされる。

『マルメロの陽光』は、画家アントニオ・ロペスがマドリードのアトリエの庭で、実をつけたマルメロの樹を描く姿を追った映画である。何も起こらない。果実はその重みで下がり、枝葉もずれる。そのたびに画家は構図の線を張りなおし、描きなおす。繰り返すうちに季節は移り、果実は熟れて落ちる。絵は完成しない。

彼が描くように撮りたい。ビクトル・エリセはそう望んだのではないだろうか。日々移り変わり、完成しない映画。納期のない映画。

2013年、アントニオ・ロペス展が東京で開催され、私は観に行った。マドリードの俯瞰図からトイレにいたるまで、精緻な筆致で描いていた。不思議な絵が一枚あった。農村の夫婦の肖像なのだが、夫の顔だけがない。一度描いた形跡があり、荒っぽく、しかし絶妙なタッチで塗り潰されている。描きなおそうと思ったがそのまま年月が経ち、完成していることを知る。

前後して『マルメロの陽光』の上映会がスペイン政府の文化施設で上映されることを知り、申し込んだ。当日、会場は満席だった。この映画はおそらくレンタルDVDになっておらず、観たくても観れない映画になっていた。私もVHSを借りて観たのが最初で最後だった。公開から20年を経て、この映画を観たいという若い人がこんなにもいることは意外であり、嬉しくもあった。

ビクトル・エリセは、オムニバス映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』(2002)に短編『ライフライン』で参加している。たった10分に凝縮された魔術と真髄を目の当たりにする。不穏と平穏。続く日常。彼の原点であるような、まるで処女作であるかのように瑞々しい。

『日はまた昇る』を読んだ18歳、私は梶井基次郎の短編集『檸檬』(新潮文庫)を読んで埋没した。乾いた哀しみとほのかな反射熱は、ビクトル・エリセの作品に通じている。やはり私は早くからこういう嗜好を有していたのか。宿痾である。

2023年のカンヌで上映された31年ぶりの長編4作目『Close Your Eyes』の邦題が『瞳をとじて』に決まり、本日発表された。2024年2月9日から順次公開される。『ミツバチのささやき』で少女を演じたアナ・トレントも出演している。おののきながら、楽しみに待ちたい。


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