「水の日」で思い出したタイの離島でのボランティア、そして未来の街づくり(前編)

8月1日を『水の日』、そして8月1日~7日を『水の週間』と定められたのは昭和52年のこと。にもかかわらず、これまでそのことについて意識したことはほとんど無かったように思う。お恥ずかしなら、今回はじめて「へぇー、そうなんだ!」なんて思ってしまった。こんなにも身近で、こんなにも大切で、こんなにもかけがえのない『水』のことを、正直何も知らなかったのだ。そこで今回、とても良い機会だと思ったので、自分にとっての水について改めて考えてみた。

その前に『水の日』および『水の週間』が設定された背景を少しご紹介。

わが国の水需要は、生活水準の向上、経済の進展等に伴って近年著しく増大してきたが、一方、水資源の開発は次第に困難になっており、渇水時には水不足が生じることが予想される状況になっている。
このような状況にかんがみ、毎年8月1日を『水の日』とし、この日を初日とする一週間を『水の週間』として、この週間において、水資源の有限性、水の貴重さ及び水資源開発の重要性に対する関心を高め、理解を深めるための諸行事を行うことによってわが国の水問題の解決を図り、国民経済の成長と国民生活の向上に寄与することとしたいと考えている。
(水の週間実行委員会サイトより抜粋)


「自分にとって水ってどんなもの?」
この質問を自分に向けてしてみた時に、パッと思い浮かんだのは「なくてはならないもの」、「必要不可欠なもの」という、わりとありきたりな言葉。料理や洗い物、お風呂にトイレ、洗濯に掃除など、生活の中で水を使う場面はとても多い。もちろんそれだけでなく、植物や野菜を育てるのにも水が必要だし、染め物をする際にも水を使う。また暑い夏の日にはプールで遊んだり、寒い冬の日には温泉に癒されに行ったりもする。美容院に行けば気持ちよく洗髪してくれるし、水彩画で素晴らしい作品が描けるのも水があってこそ。こうして挙げていくと本当にキリがない。そして通常、蛇口をひねればすぐに水は出てきて(なんなら温度だって調節できる)、そのたびに「あぁ、やっぱりなくてはならないなぁ」なんてわざわざ思うこともないけれど、私たちが健康で清潔で快適な生活を送ることができているのは、間違いなく『水』の恩恵を受けているからだ。
もし災害が起きた場合、個人的に、電気やガスが止まることはまだ我慢できるけれど、断水は時間が長ければ長いほどどんどん辛くなり、一番耐え難いと感じる。

それだけ身近で不可欠な『水』だけど、決して当たり前にあるものではないと痛感した出来事が2つ、ふと脳裏に浮かんだ。想像以上に大変で、それこそ神経が削られるような時間を過ごしたけれど、この経験があったからこそ、ちょっとやそっとのことではへこたれない精神力が身についたのだと思えるような、そんな自分にとってある意味、貴重なエピソード。


タイの離島でボランティア
ひとつめは2014年の夏、タイの離島スコーン島に2週間、ボランティアをしに行ったときのこと。離島なんて聞くとリゾートをイメージされるかもしれないけれど、それとは全く違う、本当に何もない田舎の島で、特に私たちが滞在した集落はインフラもほとんど整っていなかった。道が舗装されていないので車なんて走っていないし、その代わりに野生のバッファローがのそのそと散歩しているような、ただただ雄大な自然がぐるり、360度。


そして私たちの滞在先はと言うと、良く言えばコテージのような、木で作られた建物が1棟。そこにボランティアスタッフが約20名。男女でいちおう区切ってなんとか雑魚寝できるくらいのスペースしか無かったから、四六時中、常に誰かと一緒で、プライベートの時間なんて1秒もなかった。
電気は豆電球が数個つけられていたけれど、少し雨や風の強い日は当然停電。それをろうそくの火でなんとかしのいだ。とは言え、人もたくさんいたし、怖さを感じることは全くなかった。

それよりも大変だったのが、そう、『水』。そんな場所に水道管が通っているとは思えなかったけれど、いちおう蛇口はあって、コテージの内側にひとつ、外側にひとつ。そして、ここでの水はとても貴重で、この蛇口を使うのにもルールがあり、内側の蛇口は料理の時だけ使用可能。一方、外側の蛇口は食器を洗う時と洗濯をする時のみ使用可能。ということは、トイレとシャワーにはこの水を使えないということで、なんと、雨水をドラム缶に溜めたものを使った。しかも量が限られており、一人がジャブジャブ使ってしまうと、他の人の分が足りなくなってしまうので、その雨水ですら、みんなで分け合って使わなけばならなかった。清潔でもない、暖かくもない雨水を頭からかぶることに最初は抵抗があったけれど、それもはじめの数日だけで、慣れてしまえばなんてことはなくなった。

また飲み水については、雨水を濾過したものを現地スタッフの人が調達してきてくれて、毎日一人ひとりにボトルに入れて配ってくれた。これがまた完全に透明とは言えない、少し黄みがかった水だったから、最初見たときは少し疑ってしまった。本当に飲んでも大丈夫なのか、おなかを壊すんじゃないか、と。でもわざわざ調達してきてくれたものに文句は言えないし、他に飲料水はなかったので、それをありがたくいただく他なかった。そんな色付き水だったけれど、不思議とおなかを壊した人は誰もおらず、今思えば、蛇口から出てくる一見キレイに見える水よりも、むしろ安全だったのかもしれないとすら思う。

なんて言いつつ、後にも先にもこの時ほど水が大切だと感じたことは無い。いくら慣れるとは言ったって、やっぱり暖かいお風呂が恋しくなることもあったし、料理をする時も、洗濯をする時も、歯磨きをする時だって、いつも水のことを気にしていた。日本では蛇口をひねれば、清潔な水が出るのが当たり前だけど、そうではない場所が世界にはまだまだたくさんあるのだと痛感させられた。

ただし、物質的に豊かではないように思えるこの島の暮らしが不幸かと言われれば、決してそうではないことだけ付け加えておきたい。そこには、心優しくて穏やかな島の人たちやキラキラした笑顔の子供たちがいて、みんなで農業や漁業をして生活を営み、自然の動植物を慈しむ、そんな精神的に豊かな暮らしがあった。人々が自然と共にあり、日々、生きていることを実感できるような、本当に素敵な場所だった。




宮古島で台風被災
ふたつめは2017年、沖縄の宮古島に住んでいたときのこと。沖縄は台風が多いイメージがあるけれど、この年の夏は台風直撃をなんとか免れていた。ただ、2~3年に1度は大型台風が直撃すると言われていて、その前年、そこまでの大型台風が来なかったこともあり、「もしかしたら今年は来るかも…」なんて言われていた9月のある日。予想通り、大型台風直撃の予報が飛び込んできた。当時、私はリゾートホテルで働いており、社員用の寮で生活していた。その寮では、いつも台風の前になると、ベランダに物を置かない、湯船に水を溜めておく、などの通達があった。私にとっては宮古島での初めての台風で、言われたとおり湯船に水を溜めて、当日の朝、いつも通りに出勤した。

普段はこんなにも美しくて穏やかな海


出勤後しばらくすると、激しい雨風によってホテルで停電が起きた。9月と言えば、宮古島ではまだまだオンシーズンなので、私が働いていたホテルも連日満室状態。台風によって若干のキャンセルは出ていたものの、普段とほとんど変わりなく、多くのお客様が滞在されていた。そして、幸いにもこのホテルには自家発電のシステムがあり、停電もすぐに復旧できたのだが、ホテルを一歩出れば、島全体の約90%の場所で電気とガスが止まり、断水も起きていた。つまり、リゾートで働く従業員の家も社員寮ももれなく、インフラが全滅していたわけだが、お客様にしてみたら、そんなの関係ないと言わんばかりに、クレームやら要望やら質問やらでホテル内がごった返していた。確かに仕事を休んで宮古島までバカンスにいらっしゃっているわけだから、ものすごく楽しみにしていただろうということはわかるし、お気の毒だとも思う。だけど、お客様のお部屋は電気もガスも水道もちゃんと通っている。外に遊びに行くことはできないけれど、部屋の中で安全は確保されているのだ。食事については本州からの物資が届かず、レストランがほとんどオープンできなかったので、代わりのものをホテルが用意してすべてのお客様に提供させていただいた。

一方、従業員は仕事が終わったら、電気のつかない真っ暗な部屋に帰り、冷蔵庫も使えず、テレビも見れず、カップラーメンすら食べられないような状態だった。それでも仕事を休むことはできず、翌日になるとまたいつもと同じように出勤。さすがに毎日汗だくで働いているので、シャワーを浴びずに接客に立つことはできず、客室を男女で1室ずつ開放し、従業員が順番にシャワーを浴びるのに使った。そうこうしながらなんとか対応し、結局、私たちが住んでいたエリアでは、全てのインフラが復旧するのに3~4日、島全体では1週間程度の時間を要したのだった。この時、私たちはある意味、台風による被災者だったわけで、そしてこんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、そんな心身共にボロボロの私たちが電気・ガス・水道を当たり前に使えている人たちに一流のサービスを提供するという理不尽さ。電気・ガス、そしてなんと言っても『水』のありがたみを痛感させられるとともに、日本のお客様至上主義のあり方をまざまざと突き付けられ、今思い返してもなんとも言い難い体験だった。


大雨による洪水被害と原因
さて、上で宮古島での台風被害のエピソードを書いたけれど、2014年以降、毎年、豪雨被害や台風による災害が日本のどこかで起きている。特に、2018年の西日本豪雨や2019年の台風15号・台風19号による災害は記憶に新しい。私のまわりでも、2018年の西日本豪雨では広島に住んでいる友人の家が浸水したり、2019年の台風19号では長野の祖父母や親戚が大変な状況だったことなどもあり、本当に他人事ではないと感じる。こうした大雨の発生数が増加傾向にあるのは、地球温暖化が影響していると言われており、このまま温暖化が進行すれば、今後さらに大雨の発生数は増加すると予測されている。もちろんこういった傾向があるのは、日本だけでなく、東アジアの広い範囲でも共通しており、地球温暖化やそれに伴う水蒸気量の増加など、世界的規模の変動が関係している。

こうした状況にどのように向き合っていけば良いんだろうということをよく考える。巷では、災害が起きるたびに、「決壊した堤防の点検がちゃんとされていなかったんじゃないか」とか「大きな河川の近くには今後住めなくなる」「家を建てるときにはしっかりハザードマップを確認して」といったことが言われたりするけれど、そんなその場しのぎの話ではなく、もっと大きな視点で根本的な問題に取り組んでいかねばならないことをひしひしと感じる。これについては長くなりそうなので、次回の後編で、「未来の街づくり」をテーマとして書きたい。

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