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重症脳梗塞からの回復記1ー はじめまして

左脳に重度の脳梗塞を発症した夫とともに暮らす主婦です。夫の発症からもう10年以上が過ぎました。最初の診断の通りであれば、すでにこの世にいないか、もしくは寝たきりで動けないはずの夫は、毎日新聞を読み、テレビの中から、自分で好きな番組を録画して楽しみ、天気が良ければ一緒にドライブに行き、そして今は車椅子を使いながらも、スーパーやデパートのショッピングや、外食を楽しんでいます。

私は夫が病となった時、病院の面会時間ギリギリまで夫と過ごし、そして自宅に帰ってくると、救いを求めてネットを彷徨いました。現実は厳しく、時に「廃人」という言葉も聞きました。歩けないだろう、話せないだろう、回復は難しいという言葉から逃れるようにネットの中に埋もれ、少しでも救いになるような言葉を見つけると、しがみつくようにそれを読んでました。いくつか、印象的なサイトはあったのですが、時にはいちばん救われると思う内容のサイトが少しすると消えていたりしました。もう一度読みたいと思っても出てこない時の、不安、寂しさ。そんなことも思い出します。

今、それから十数年経って、最初に書いた通り、不自由ながらも日々を自分たちなりに普通に暮らしています。できないことも多いけど、でもそれが全てではないと思うようになりました。むしろ、少しずつ少しずつ、何かができていくことを喜びとともに受け入れたことの方が多いかもしれません。逆にできなくなる悲しさも何度も味わいました。
でも不自由な体で動く時に、ふとした動作に遠慮なく笑い声が起きるのも家族だからかもしれません。不自由も不便も全て受け入れて生きるのが人生であり、「病とともに生きる」などと大袈裟に言わなくても、この日常を幸せだと感じるようになりました。と同時に、発症時にあらゆることを諦めなければならないのかと感じたところからここまで来るまでに、自分がやってきたのは何だったんだろうと、思うようになりました。

お医者様は「奇跡」とおっしゃってくださいます。でも、この「奇跡」という言葉は、なんだかしっくりこないのです。私たち家族にとって、これまでの日常はすべて、「奇跡」ではなく「事実」でした。起こるか起こらないかわからない「奇跡」を引き起こすのではなく、ただの日常の積み重ねのなかで、何を思い、何を感じたのか、それを含めて、一つ一つ、思い出せることを書いてみたら、もしかしたら他の人にも何かしらのお役に立てるかもしれないなと思います。

長い時間の中で、数え切れないほどの失望、絶望、悲しみを味わいながらも、その中からほんの少しの光を求めて、それを希望につないでここまできたように思います。医療者はみな、熱心にやってくださっても、医療体制の構造的にできないことも言えないことも多い。そんな中で「希望を見つけようとする」ことが、家族にもできる一番大きなことだったかなと思います。それは、必ずしも完全回復ということではないのですが。

ストレス多い現代において、今この瞬間も、あの時の私と同じように救いを求めて、情報を求めて、言葉を探している人がいるのではと思います。だから、ここに、今までの体験を徒然に書いていこうと思い立ちました。あくまで個人的な体験で、主観です。今まで出会った方々が、皆それぞれの立ち位置で一生懸命やってくださったと思っているので、誰かを傷つけようとする意図はまったくありません。その上で、突然人生の航路を断ち切られた人間がどのように生きる道を見つけ、そして一番身近にいたものとして、私自身がどう生き、何を学んだのかを、そのまま書きます。もとより、すべて私たち個人のケースなので、そのまま他の人に適用できるわけじゃないです。でも、今、同じ病に苦しむ誰かが、何かしらの救いを見つけてくれたら、こんな嬉しいことはありません。

いま、発症時の私たちと同じような境遇で、絶望の中から明日への手がかりを求めている方がいらっしゃいましたら、この思いが届きますように。そして少しでもお役に立ちますように。

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