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重症脳梗塞からの回復記2 –発症14年目の日常と階段

階段のある生活


私たちは二階建ての家に住んでいます。家を建てる時、場所の関係でリビングを二階にしました。夫の部屋も2階にあります。重度の脳梗塞で右半身がほぼ動かない状態から14年が経ち、日々のリハビリを繰り返すことで、杖歩行も階段昇降もできるようになりました。だから、私たちは病の後もそれまでと同様に2階のリビングに住み、出かける時は夫は手摺りを伝って階段を上り下りしています。日常の中にある階段は、それ自体がリハビリ効果を持っている、と私たちは思っていました。一言で言うなら、「バリア・アリー」かな。

脳梗塞の後遺症を持ちながら、階段の上り下りをしていること自体、驚かれたり、時には呆れられたりします。ただ、14年前に発症したときに入院したリハビリ病院の理学療法士さんが、夫のリハビリをぐいぐいとひっぱってくれて、とても頑張った結果、退院することには手すりを使って階段昇降ができるようになっていたのです。
その状態で自宅に戻ってきた時、「危ないから」という理由で一階で日常を過ごすようになることは、なんだか本人の心にとってもマイナスであるような気がしました。というか、退院後はしばらく一階の部屋で過ごしていたのですが、ある日夫は自分でもできると思ったらしくて、一人で階段を上って二階まで来るという「事件」がありました。二階にいた私は、階段の上にいる彼と目があった時、「えーーーー⁉️」と絶句しました。家族の驚く顔を見て、ニコニコしていたその顔を見た時、本人が挑戦したいこと、できると思う範囲を最大限やらせてあげたいという気持ちが起きて、そのまま二階で暮らすようになったのです。

気温が寒いと足が前に出ない

さて、この冬、当地方は例年にも増した厳しい寒さと雪に見舞われました。家の中はできるだけ暖かく過ごせるようにと工夫していましたが、それでも夫は寒さがひどく体に応えたようです。リビングから廊下に出るだけで、寒くて体が硬くなるようで、階段を下りるのもだんだん辛くなってきました。もちろん、廊下にも階段にも暖房を用意したのですが、外気の温度は病後の体に直接作用してしまうようです。

そして2月中旬のある日、とうとう階段の上で夫は動けなくなりました。怖くて、階段の第一歩が踏み出せないのです。それどころか、階段に近づくこともできなくなってきました。悲鳴に近い声を上げて、戻ってしまいます。
もっとも彼の本来の病状からしたら、これは普通のことなのかもしれませんが、今までできていたことができなくなるということの方が、本人にも家族にも現実以上に将来への不安も加わって、大きく感じられるようになってしまいます。

さて、どうしましょうかと考え込みました。当たり前のことですが、いつかは階段昇降ができなくなるかもしれないと思っていて、その時は一階で過ごせるように部屋を整えようと考えていました。が、こういう形で来るとはちょっと予想していませんでした。なぜなら、体の機能はそれほど衰えているようには見えないからです。いつもと同じように杖を使いながら部屋を歩き、ご飯を食べ、私の簡単な介助によってシャワーもつかって、夜も一人でトイレに行っています。でも、階段の前でだけ、固まってしまうのです。

介護保険が使える範囲を聞いてみた


とりあえず、ケアマネさんに相談しました。どうにかして階段を下ろす方法ってあるかなぁって。ネットで調べたら、階段下りるようの車椅子とか、階段昇降機とかあるようです。私たちの生活をいつも支えてくれているケアマネさんは、福祉用具の担当者さんと相談してくれました。でもその結果、なんとかして手伝ってもらって一階に本人を運んで、そちらで生活するしかないのでは?という答えでした。そして、階段を下りる系の器具には、介護保険は一切使えないとのこと。
階段昇降のある生活というものが最初から想定されていないんだな、と思いました。無理もないと思います。そりゃそうだよね。

なぜ下りれないのかを考えた


ただ、私たちの今までの一貫した姿勢は、「できることはなるべくやる」というものでした。夫の動きを、私はできるだけ手伝わない。そして、今できることより、ほんのちょっと上を目指そう、という感じ。

だから、今は階段を下りることができなくなっているけど、それって、体力が弱ったとか腰や骨に異常がでたから下りることができないのか、寒くて体が強張るから怖くて下りることができないのか、どちらだ?というのがポイントになります。ほんとに骨が折れてたり、立てないくらい体力が弱ったりしてたら、何をさておいても階段を他の人に手伝ってもらって下りて病院に行かなければと思いますが、今だけ、「怖い!」と思ってるのであれば、その恐怖を取る方法を考えた方が良いよね、ということなんですね。

足が出ないと心もこわばる

そうはいっても、毎日階段の上で止まっているうち、夫はすっかりしょげてしまいました。外に出たくても階段の上で固まってしまうので、どこにも行けません。楽しみにしている週一回のリハビリセンターへも行けなくなりました。リビングのドアを開けて、階段の上に出ただけで怖くて震えてしまいます。そんな自分に自己嫌悪が募るようで、みるみる元気がなくなってきました。食欲もなくなってきました。

こんな感じなので、共に暮らす私も焦りが募りました。こんな時は、「暖かく慣れば気持ちも楽になるかも」などというポジティブな考えはなかなかでてきません。このままどこにも行けなくなったらどうしよう、体が弱っていったらどうしよう、という悪い方向にだけ、想像が働きます。心がこわばってるのは、私も同じだったんでしょうね。家族も含めて焦れば焦るほど、事態は後退していくようで、夫の気力もますます下降の一途をたどりました。ついには家の中を歩く時も、椅子から立ち上がる時も怖がるようになってしまいました。こわいと体がすくむ、体がすくむと怖い、まさに悪循環です。
でもいつまでも、こうはしてられません。

階段を下りることへの挑戦!


「ねぇ、階段の上から下を見ると怖いよね。だからさ、階段を下りなくて良いんだ、って思って、手すりの近くまで行く、という練習してみない?」と声をかけました。そして、一緒にリビングのドアを開けて階段の近くに行く練習を始めました。最初は私がつききりでその練習をしました。一度行って戻ってくると、疲れてはぁはぁしてるので、新聞を見たり、コーヒーを飲んだり、音楽を聞いたりして、ちょっとリラックスして、そしてまたもう一回。だいたい1時間から2時間に一回くらい、そういう練習をしました。
そうこうしているうちに、本人は自分一人でも挑戦するようになりました。最初にその姿を見た時は、「お!」っとちょっと感動しました。なんとかして恐怖を克服しようとしている姿は、見ていて少し切ないものがあります。

やっぱり外に行きたいし、階段を降りたいんだね。でも、そう思えば思うほど、怖くてできなくなっちゃうんだね。緊張しちゃうんだね。でも、えらいよ。一人でも頑張ろうとしてるじゃん。

なので、次の一手は、階段の縁に大きな段ボールの板をおいて、下が見えないようにしました。そして階段ギリギリまできてみようよって提案。
夫はそれが階段だということは重々わかってます。でも、ダンボールのおかげで目の前に階下の風景が広がらないので、とりあえず段ボールをもってニコニコしている私と目が合うくらいのところまで近づけるようになりました。うん、また一歩進んだね。えらいぞ。がんばろう!

訪問リハビリスタッフの理解ある協力

幸いなことに、うちでは週一回、訪問リハビリを受けてました。毎週来てくれるMさんは、とても優しくて技術も確か。夫とも相性が良くて、夫は毎週彼女が来てくれるのを楽しみにしていました。Mさんは夫の様子を観察して、マッサージをしながら、「特に体力が弱ってるということじゃないんですよー」「ほんとは降りれると思いますけどねー」と前向きな言葉をかけてくれます。

それでも気力の方から弱って行きそうなので、ケアマネさんと主治医の先生に相談して、訪問リハビリの回数を週2回に増やしてくれました。外でのリハビリに行けなくなっていたので、これはとても助かりました。週2回、マッサージをして、体力を落とさないようなさまざまな運動をみっちりとしてくれたMさん、3月に入って暖かくなったある日、「明日ちょっとKさんに手伝ってもらいますねー」と提案してきました。「体が大きい男性スタッフのKさんにお手伝いしてもらって、場合によってはみんなで運んでも良いから、とにかく外に行きましょー!気分転換、ひつようですよ!!」

なんとありがたい言葉でしょうか。ほんとにそうなんです。でも、家族ではできないところを、さりげなくみんなで手伝って、元気を回復させてあげようとしてくれている、その思いやりが心に染みました。なにより、夫がそれを一番受け止めたと思います。目に涙を浮かべていました。

最初の一歩ができた!

ということで、決行?の朝、大きな頼もしいKさんもニコニコして手伝いに来てくれました。意を決した夫は、みんなに励まされて階段に近づきます。近づくところまでは自主練の成果を大公開!です。Kさんは階段の2段くらい下がったところでスタンバイしました。階段ギリギリまで来た夫は、ものすごく緊張しながら、一歩、足を踏み出しました。いつもやっていたように、マヒ側の右足をおそるおそるおろします。右足が一段降りたところで、すかさず私はその右足をしっかりと抑えました。これで体の軸が安定します。そして、健足である左足も一段降りることができました。やったー!一段おりた!わーーーーい!!!!

あとは簡単でした。一段、二段、三段、と降りて行きます。夫の前にも後ろにもスタッフと家族がいてそれを支えますが、それでも降りているのは本人自身です。ここが大事なんだなと思います。たぶん、一歩降りるごとに、本人の自信は硬いタネからちょっとずつ芽を出して、双葉を出して、本葉を育てていくような感じ。

かくして、踊り場も過ぎて、とうとう一階まで降りてきました。玄関のそばに置いてある椅子に座った時、本人は大きなため息をつき、私とMさんは抱き合って喜びました。Kさんはニコニコしています。

「ねぇ、このままみんなで外に行ってみましょ!」とMさんが提案してくれました。間髪入れず、っていう感じ。夫はそのまま立ち上がり、みんなに脇を支えてもらいながら、玄関脇の車の助手席に乗り込みました。KさんもMさんも一緒に。私は運転しながら涙出そうでした。夫もほんとに嬉しそう。
「よかったね!」「久しぶりだもんね!」「ここ、かわったでしょ!」「なつかしいでしょ!」と声をかけながら車を走らせます。近所を一回りして戻り、車から降りる時も玄関まで2m歩く時もみんなに支えてもらって、無事に玄関に入ってまた椅子に座りました。その直後、夫は、「おぉーーーーーーーー」という、言葉にならない、叫びのような唸り声を発しました。長くも短くも感じます。すごく緊張していた、その緊張が溶けた安心感だったのかもしれません。怖かったんだもんね。でも、ほんとに頑張ったんだよね。よかったね、外に行けて。

階段は下りる方が怖かったんだと思います。上る時は、「いっと、にっと、さんっと、しっと」といつものように自分で自分に掛け声をかけながら、順調に上りました。二階に上がって、廊下を歩いてリビングに入り、椅子に座った時、みんなからの大きな拍手!夫さん、えらいぞ!

日常に階段があるということ

それから1週間が過ぎました。曲がりなりにもん自分で下りたことは、大きな自信になったようです。次の日は疲れたのか、階段の上で拒否してしまいましたが、さらに次の日は、無事に階段を降りて、主治医の先生にお目にかかってきました。日を重ねるごとに慣れてきて、怖さとの葛藤も徐々に消えてきたようです。週末にはデパートの中にあるファミリーレストランでステーキを食べることもできました。コロナ対策がされている中でも世の中には人が増えてきてるんだな、と思いながら、大勢の人の中で、夫もおいしくステーキをいただきました。
今回のことで、私もいろいろ考えました。まず、階段が日常にあるということが、私たち家族にとっては大事だったんだと思います。これまでの14年の中で、転んで圧迫骨折したり、足を痛めたりといろんなことがありました。そんなとき、救急車の人たちがとても親切に気遣いながら病院まで運んでくれて、下りる苦労というのをしたことがありませんでした。
骨折などで入院しても、今はすぐにリハビリも開始してくれます。夫は、何がなんでも二階の自分の部屋に戻りたかったようで、階段リハビリをがんばって、退院してきた時は、どうにか元の生活に戻ってました。「どうしても自分の部屋に行きたい」という気持ちが、彼の勇気と行動の大きな原動力になっていたのではないかと思います。

心を労わりながら

でも、今回の階段問題は今までとは違っていました。どこを怪我した、とかいうことではなく、また体の機能や体力が弱ったから、ということでもなく、寒さでからだがこわばったときに「こわい!」と思ってしまったことが、大きな原因だったと思います。主治医の先生に階段の上で動けなくなっていることを相談したら、そこを理解してくださっていたようです。

「大きな病気をしているわけだからね。やっぱり怖いという思いがフラッシュバックして体が動かなくなることはありえますよ。だから、緊張をほぐすようなお薬を処方するから、それを使ってみたらどうかな」

といって、「リーゼ」を出してくれました。実際、朝に一錠飲むことで、緊張や怖さは和らいだようです。薬一つで気持ちが楽になるのはありがたいよね、といって、時々使うようになりました。今日はでかけよう、という時は、事前に一錠飲むようにしています。

そんなわけで、今はまた、以前の生活に戻りつつあります。階段については、他の方がどうされているのか、いろいろ聞いてみましたが、やはり無理をして階段を上らせたり下りさせたりすることの方があまり一般的ではないらしい、と悟りました。こういう日常だと、何かあったときにどうするのか、ということと常に紙一重状態なので、その対策も本気で考えておかなければならないと思います。これは、共に暮らすものの責任問題でもありますから。でも、今はまだ、自力で上り下りできるので、もう少しこのままがんばってみようかな、と思っています。

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