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「友達」について

自分を変えたいと願った時に、支えてくれる友達がいれば大きく成長できるのではないかと思った時期がある。(頭の良い人と仲良くしていれば自分も頭が良くなるだろうみたいな…)

しかし、僕には友達がいない。いたとしても僕の一方的な思い込みによるところが多分にある。SNSで知り合った方々を友達と呼んでいいのかはわからない。(僕は勝手に友達だと思っています…)

「友達が少ない」と宣言しているあの方も、きっと固い絆で結ばれた友達はいるのだろうと推測したりする。


どうしたら友達ができるのかを考えて、同じ趣味を持つ仲間の集まりやサークルに参加したり、お寺の住職さんや東京都、地元の役所窓口に相談したこともあった。

どんなに試しても友達はできなかった。

自分自身に問題があることはわかっている。だから同じような性格の仲間と話したこともある。しかし、友情は芽生えなかった。


自分の性格を変えるために性格の良い人と出会いたい、心地よく生きたいから絶対裏切らない友達と出会いたい、そう願い東西奔走駆け回った。

ある時「花を弄すれば、衣香りに満つ」という言葉と出会った。

花を触っていると、その良い香りが着ている服につく。同じように、人間は近くで関わっている人から影響を受けるものだ。だからこそ付き合う相手は慎重に選ばなければならないということである。

これは人との関わり合いを持って自分の人格に良い影響を与えたいという僕の願いと合致する。人の性格は関わる人の影響を受けるというのは心理学の分野でもそのように考えられているようだ。

しかし、「変わりたいから良き友達を持つ」という考えは根本的に誤りかなと気づいた。なぜなら、良い友達を得るための秘訣は「自分自身が良い精神状態で良き人格者」であることが必要だと考えたからだ。

僕自身が周りに好影響を与えられる精神状態であることから友達作りがはじまるのかもしれない。


とはいえ、無理に変わろうとしなくていいのだ。
自分の呼吸ができる場所で息をすることが大切である。
嘘をついて繋がった友達や気飾った自分に寄ってきた人との友情関係は長続きしない。

ケースバイケースはあると思うが、本音を語り続けて最後まで残って聴いてくれた人が本物の友達なのだろう。


結論としては自然体で生きるということだ。


悪口ばかり言っていれば悪口を言う人と繋がるし、「ありがとう」を言い続けたら「ありがとう」が好きな人が寄ってくる。「類は友を呼ぶ」のである。


生きたい時を選べないのが人生である
。だからこそありのままの自分で生きていたい。



近いうちに新しい分野に足を踏み入れる予定だ。果たしてそこで友達はできるだろうか。


(またご報告致します)

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