「語る資格」を得ようとする悪癖
私の趣味はゲームなのだが、いつも「ここまでやったら『ちゃんとプレイした』といえるんじゃないか』みたいな境目を目指してプレイしている節がある。真のエンディングを見るとか、初心者脱出と言われるレベルまで上手くなるとか。
ゲームのプレイに限らず、ゲーム製作も作品一つ作るのが最初の壁だと思っているし、noteもまず100記事書くのを目標にしている。一方、仕事では心あたりが全くないので、趣味に対してのみの姿勢のようである。
目標を持つこと自体は悪いことではないと思うが、最近
「この実績取らずにレビュー書くのは変なので頑張って取る」
「プラチナ達成したら『脳死でプラチナ行く方法』って記事を書くんだ』
「note始めて3ヶ月だから『3ヶ月続けた感想』って書いてもいいか」
みたいなことばかり考えていることに気付く。なんていうか語ることが目的になっていて、そのための「資格」を取るような遊びになっているような気がする。
実際のところ、上で挙げたようなレベルは簡単に達成できるものだし、それができたところで何か意味があるわけではない。本当に到達するのが難しいレベルの目標を目指すとか、そこまでの創意工夫を記事にまとめるとかして初めて身になるのだろう。
単に趣味・道楽なのだから、それが楽しいのならば別にいいとも言える。だが問題なのは、割とエネルギーを費やす長期的な行為の場合だ。私の場合だとゲーム製作が当てはまると思う。
正直に言うと、私の心の奥底には
「何か作品ひとつあればクリエイター面して語れる」
という意識があるような気がするのだ。もしこれだけがモチベーションなんだとすると、何か形になった途端にああだこうだと語り始めて、一方作品はろくに作らない自称クリエイターになるという未来が見える。これは本当に自分の望む姿ではない。
何か目標立てて実行するとき、その成果はゴールに着く前にも得ているはずだ。さらに言えば、ゴールに着いてからが本当の収穫時なのではないか。短期的に頑張るのは楽しいのだが、そればっかりでは身にならないということをふと考えたのである。
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