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「無敵の人」報道の在り方について

【模倣犯】メディアがテロを手伝った?動機や背景は伝えるべき?細野豪志と考える総理襲撃と報道|アベプラ

今日見たアベプラ。

この前の岸田総理への襲撃について、メディアがテロリストの背景を過度に報道することによって、模倣犯を生み出している。という細野議員の主張。

この回は珍しく?終始議論が噛み合っていなくて、平岩さんのファシリテーション力を以ってしても、上手く収集がつけられていなかったような印象だった。

細野議員の主張としては、
①メディアがテロリストの生い立ちや思想を紹介すること自体が、模倣犯を生み出すことを助長させているので、一切取り上げる必要はない
テロリストの思想を世に知らしめることがテロリストの目的なので、メディア側の意図(再犯防止など)に関わらず、放送することそのものがテロリストの思惑に加担している
③一番の懸念は、テロリズムが横行することによる、民主主義への脅威(街頭演説ができないなど)

番組内にての発言を要約


一方で、反論側(南弁護士、佐々木寛教授、EXIT兼近など)
「無敵の人」を生み出した社会構造や背景を一顧だにしないという細野議員の主張には違和感。政治家は、言うなれば「社会の病気を治す医者」であるべきなのに、暴力に至った経緯を全く顧みず、病巣を知ろうともしないのは政治家としていかがなものか

②(「社会的弱者の中でも努力している人達がいる中で、問題とテロリズムを結びつけるのが、弱者でありつつも、もがいている人達に失礼」という細野議員の主張に対して)エリート的思想。弱者の中の弱者が「無敵の人」。だからこそそこに光を当てるのが政治家の役割ではないのか?

番組内にての発言を要約



私自身も、細野議員が、一貫して、【テロリストの主張は、テロという行為を選択した時点で聞くに値しないものになるので、そこから導き出されるアプローチ(安部首相殺害事件でいうところの、反社的宗教を規制する法案を作る等)などない】という立場を取っているのにすごく違和感を感じた。

南弁護士が、細野議員のそういった態度に「残念、がっかりする」という表現を使っていたのが印象的で、私も全く同じ感情を抱いた。


両者の話がかみ合わない理由は、 細野議員にとっての最優先事項は、「民主主義への脅威を可能な限り排除する」こと。
街頭演説など、選挙の在り方を変えてしまうような危機的状況であるので、模倣犯を生み出すような、現状のマスコミの報道には一切価値がない

対して、南弁護士、佐々木教授は、上記の主張に一定の理解を示した上で、「一切価値がない」と言い切ってしまうことに対して、違和感があると主張しているのに、細野議員自身が全くその意見を聞き入れる様子がないので、話を続けても、議論は永遠に平行線だなと思った。


私も、細野議員の発言の端々から感じる、【エリート思想】【自己責任論】に強い違和感を感じた。 人は生まれながらにして格差を持って生まれる。日本で生を受けることは、アフリカ諸国や、ウクライナの人達からしたら、格差ともいえるかもしれない。

日本国内でも、豊かな親元に生まれた人もいれば、親さえいない人もいる。 そういった自分でコントロールできない格差がこの世にはある。そういった格差を、政策的アプローチで「均していく」のが、本来の政治家の仕事ではないのか?
それを、「弱者の中でも努力している人たちに失礼」だと、弱者の中にいる本当の弱者を、見ようともしていない(そもそも存在を認識していない)姿勢に本当にがっかりした。

「本人の努力」として、全てを自己責任として片づけてしまうのは、視野の狭い、典型的エリート思想だなと思う。
政治家やAbemaを作っているテレビマンも、日本社会全体から見れば、エリートであり、社会的強者だ。今の地位に立てているのが、「自分の努力」の結果だと思い込んでいる人は、視野が狭くなって、弱者の中の弱者に寄り添うどころか、存在にすら、気付くことが出来ない。

「無敵の人」を生み出してしまう社会そのものが病巣であること、それを根治させろというのは単なる理想論で、不可能だと私も思うが、出来ない中で、議論していくのが政治家の役目であり、問題提起するのが、マスメディアの役割ではないのか?

であるにも関わらず、テロリズムという表層化した、万人にとって分かりやすい「悪」を悪として問題を完結させてしまうことで、根源的原因にアプローチすることそのものを放棄してしまうという姿勢に非常にがっかり。


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