ナメられないように強がっても意味はない
こんにちは。エデュサポです。
「ナメられないように、一度授業中にガツンと怒らないと。」
「あの先生は優しいから生徒にナメられちゃうんだよ。」
このような会話が、塾の講師の間でときどき繰り広げられます。
先輩からのアドバイスを聞いて、「生徒にナメられないように、怖い先生になろう。」と考える、素直な新人塾講師もいます。
しかし、そんな必要はありません。むしろ、恐怖で生徒をコントロールしようするのはやめてください。
「怖い先生でなければ、生徒は言うことは聞かない。」と主張される先輩方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはまったくありません。
では、どうすれば良いのでしょう。
今回は、新人塾講師の方に向けて、生徒にナメられないようにするためにどうするべきかという私の意見を書きます。
私は以前、塾講師の仕事をしていました。集団塾と個別塾で講師と教室長を務め、オンライン教育系の塾運営の仕事をしていた時期もあります。かれこれ20年以上、塾業界で働きました。
これまでの経験を基にお話します。最後まで読んでいただき、生徒との関係の築き方の参考にしていただければとてもうれしいです。
生徒にナメられないために
結論から書くと、私が思う生徒にナメられないようにするためのベストの方法は、自分自身が生徒の尊敬に値する人間であろうと努力することです。
よっぽど小さな子どもでなければ、大人が万能でないことは既に知っています。
大人にも、子どもと同じようにどうしようない部分があったり、ズルかったりすることを子どもたちは既に知っています。
子どもは子どもなりに、この大人は信頼できるかどうか、この大人は尊敬できるかどうか、この大人についていくべきかどうかを判断しているのです。
ですから、子どもが「あなたという大人は尊敬できるからついていってみよう。」と思えば、ナメられるナメられないの問題ではなくなります。
恐怖でのコントロールは簡単
とはいえ、子どもはあくまでもまだ子どもなのです。
大人が大きな声を出して威嚇すれば、逆らわずに言うことに従う子どもが多いでしょう。
なかには本気で大人に反発して、取っ組み合いになるような骨のある子どももいるかもしれません(子どもといえど暴力はダメです!)。
ですが、大人に真っ向から反発できる子どもは稀です。
ですから、大人が子どもを恐怖でコントロールすることは簡単なのです。
「子どもにナメられないように、怖い先生になるべきだ。」という主張は、恐怖で子どもたちをコントロールするという、安直な解決策に飛びつくべきだという主張に他なりません。
怖いと厳しいは違う
では、子どもを叱ることはダメなことかと問われれば、そんなことはまったくありません。むしろ、しっかりと叱れないようであれば、教育者としては向きません。
「怒る」と「叱る」は異なります。同様に、「怖い」と「厳しい」も異なります。
子どもをコントロールするために怒って、子どもたちに「怖い先生」というイメージを植え付けることは良くないことです。
一方で、子どもの過ちを正しく叱って、子どもたちに「厳しい先生」というイメージを持たれることは良いことです。
厳しさやストイックさは、尊敬に値するものだからです。
もちろん、子どもに厳しくする以上、自分にも厳しくある必要があります。「子どもに厳しく!自分に甘く!」では最悪です。
子どもたちはラクをしたいと思って厳しい先生を嫌がりはしますが、嫌がりながらも、「ちゃんとした大人」という認識をします。
怒ることで子どもをコントロールしようとする大人とは別物だと感じ取っているものです。
時間はかかる
信頼を築くには時間がかかります。尊敬に値する人物かどうかを評価されるのにも時間がかかります。
ですが、この時間を惜しんではいけません。時間をかけて、子どもたちと関係性を構築してください。
この時間を惜しんで、「怖い先生を目指す」という短絡的なゴールを設定しないでください。
優しさも厳しさも子どもたちに見せながら、その背中を見せてあげてください。
子どもたちに見せられる背中であるよう、自らも成長を続けてください。
世の中には、「俺は年上だぞ!敬え!」と、恥ずかしげもなく言う人もいますが、それは本当に恥ずかしい行為です。
年上であること以外に敬ってもらえる要素がないことを証明してしまっています。
「俺は先生だぞ!敬え!」ではなく、その背中で子どもたちに訴えかけられるようにならなくてはなりません。
ありのままを見せることも大切
背中で子どもたちに訴えかけられる人間になるといっても、無理して自分を大きく見せようと、肩肘を張りすぎてはいけません。
塾の講師や学校の先生は教育に携わる人間ではありますが、先生である以前に人間です。
子どもたちの前だからと言って、完璧人間になることはできませんし、完璧人間であるように振る舞い続けるのは大きな苦痛を伴います。
だからこそ、自らの成長のために努力をしながらも、子どもたちの誇れる先生を目指しながらも、子どもたちにありのままのダメダメな部分も見てもらいましょう。
失望されないかって?ナメられないかって?
大丈夫です!ギャップ萌えってやつです!
子どもたちに誇れる先生であろうと日々努力をしていれば、ときどき見せるダメダメな素の部分は、むしろ好意的に捉えてもらえます。
完璧超人よりも、スキがあった方が親近感も湧きます。
私もこんなに偉そうなことを書いてはいますが、ダメダメな部分もたくさんあります。むしろ、ダメダメだらけです。
全部は子どもたちに見せられませんが、全部隠そうとも思いません。全部隠そうとすれば、ストレスで自分自身が参ってしまうでしょう。
まとめ
それでは、生徒にナメられないようにするためにどうするべきかという私の意見をまとめます。
生徒にナメられないようにするために必要なものは、「恐怖」ではありません。「尊敬」です。
生徒の尊敬に値する先生であるよう、努力し続ける必要があります。
「年上だから」「先生だから」という理由で、生徒に無理矢理「敬え!」と命令しても意味はありません。
生徒に敬われるよう、先生自身が成長し続けなければなりません。
ですが、生徒の前でいつでも完璧であろうとする必要はありません。時には力を抜いて、素の部分も見てもらいましょう。
「ナメられないように」と考えることに意味はありません。
「ナメられないように」の呪縛から抜け出し、あなた自身が成長できるよう努力し、結果として、生徒があなたについて行きたいと思ってくれることがベストです。
今回のお話が、あなたと生徒のより良い関係性の構築に役立つことができたのならば、私はとてもうれしいです。
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