「わかる」「できる」の意味がわからなければ一生勉強はできない
こんにちは。エデュサポです。
今日は、子どもたちの勉強についてショッキングな実態を知ってしまったので、皆さんの意見をお聞かせいただければと思って書いています。
私は以前、塾講師の仕事をしていました。集団塾と個別塾で講師と教室長を務め、オンライン教育系の塾運営の仕事をしていた時期もあります。かれこれ20年以上、塾業界で働きました。
多くの子どもたちとか関わってきた経験を基に、今回感じたことを書いていきます。
旅人算自動計算サイトを見つけた
みなさん、「旅人算」ってご存知でしょうか。
「分速60mで歩くAくんが出発してから10分後に、Bくんが分速90mで追いかけると何分後に追いつくでしょう。」といった問題です。
小学校では方程式を教えないので、中学受験ではこれを方程式なしで解きます。旅人算について詳しく知りたい方は、私が作った解説ページを読んでみてください(露骨な宣伝)。
それでは今日の本題です。この旅人算の典型的な問題を、数値を入力するだけで答えが出せるというサイトを見つけました。
このサイト自体は画期的で、非常に便利だと思います。問題はページ下部にあった「お客様の声」です。問題部分を一部抜粋します。
20歳未満 / 小・中学生 / 役に立った /
使用目的:学校の宿題
すぐに出来るので、役にたちました
20歳未満 / 小・中学生 / 役に立った /
使用目的:塾の宿題
ご意見・ご感想:スゴくわかりやすい
20歳未満 / 学生 / 役に立った /
使用目的:旅人算で分からない問題が有ったからです
ご意見・ご感想:分からなかった問題が解けました!
ありがとうございました!
出典:旅人算(追いつく時間) - 高精度計算サイト
他のページには、以下のようなお客様の声もありました。
20歳未満 / 小学生 / 役に立った /
使用目的:家の勉強がわからなかったとき。
ご意見・ご感想:割合の計算がわかりません。作って下さい。
出典:旅人算(出会う時間) - 高精度計算サイト
これらはいろいろなお客様の声がある中の一部です。この自動計算サイトを有意義に使ってらっしゃる方もたくさんいると思います。ですので、サイト自体は有意義なものだと思います。
一方で、有意義ではない使い方をしている子どももいるということは大きな問題だと思います。
「わかる」「できる」ってなんだろう
子どもって、大人が思っている以上に「わかる」や「できる」の意味がわかっていません。これは教育に関わる方であれば共感していただけると思います。
逆に、「わかる」や「できる」の意味をわかった生徒から勉強ができるようになっていきます。一生勉強ができるようにならない大人もいます。
子どもたちは、問題を解いて、マルとバツがついて、点数がつくことがあまりに日常になりすぎてしまっています。そのため、勉強といえばマルバツと点数であって、マルがつけば「勉強がわかった!」「勉強ができた!」と認識してしまうのです。
これは当然間違いです。
先程の旅人算の例で言うならば、「後発者が出発した瞬間と、後発者が出発してから単位時間後の状況を考え、後発者が先発者に追いつくまでの時間を求める」ということを理解して初めて、「わかった」ということになります。
また、「わかった」上で、何のサポートも受けずに自分の力だけで類似問題を解けるようになって初めて、「できた」ということになります。
自動計算サイトを使って宿題の問題が全部マルになることが「わかった」ということにはならないし、「できた」ということにはならないのです。
そんなの当たり前のことだと思われるかもしれませんが、こういったことを本気で勘違いしている子どもは非常に多いです。
そもそも旅人算は必要なのか
算数や数学の話をしていると、「でも、将来使うのって四則演算くらいじゃないですか?方程式とか関数とか証明とか微積とかって、できなくても困らないじゃないですか。」と言う人もいます。
旅人算なんて、中学校で連立方程式を習ってしまえば連立方程式でも解けます。わざわざ単位時間後のことを考える必要なんてないじゃんという意見があるのも理解できます。
ポイントは、未来は誰にも予測できないということです。
将来、何が必要となって何が必要とならないかなんて、誰にも予測ができないのです。
例えば、AED(自動体外式除細動器)の使い方って勉強するべきだと思いますか?AEDは心室細動になった心臓に電気ショックを与えて、心臓の動きを正常に戻す装置です。
多くの人は「勉強すべきだ」と答えると思います。私も勉強すべきだと思います。
では、一生の内にAEDを使う機会に遭遇する人ってどれくらいいるのでしょう。もしかしたら、微積が必要になる人よりは多いかもしれません。方程式や関数や証明や旅人算が必要になる人よりは、遥かに少ないと思います。
確かに、証明や旅人算をそのまま使うことは少ないでしょう。それでも、考え方の概念を使うことは非常に多いです。むしろ日常的です。
2つの三角形が合同であることを論理立てて人に説明する機会はほとんどありませんが、「論理立てて人に説明しなければならない機会」は結構あります。私がこの記事を書いていることも、まさにその機会となります。
AくんがBくんに何分後に追いつくかを求める機会はまずないと思いますが、単位時間後のことを考えて未来を予測する機会は多いと思います。「明日にはこうなっているだろうから、1週間後にはこうなっているはずだ」というような思考です。
引き出しを増やすことが重要
旅人算は連立方程式で解けます。単位時間後の状況から予測する方法でも解けます。どちらでも解けるのだから、どちらか一方だけできればいいという考えは危険です。どちらでも解ける方が良いに決まっています。
私はギターを弾きます。勘違いされている方も多いのですが、音符を読むことだけが音楽ではありません。
アドリブやセッションなどで、その場で音楽やメロディーを作り出していくことも音楽の醍醐味です。その際に重要になるのが、引き出しの多さです。
アドリブやセッションはナマモノなので、その場で調理しなければなりません。長考する時間はないのです。そのため、一瞬で頭から引き出せるフレーズをどれだけ多く持っているかが重要になります。この「一瞬で頭から引き出せるフレーズ」を、「引き出し」と呼びます。
音楽では、この引き出しの多さが表現の多彩さに直結します。
人生においても、引き出しの多さがその人の多才さに直結します。
ちなみに「多彩」と「多才」は変換ミスではありません。手前味噌ですが、上手いこと言ったと思いました。
特に、大人になってからは答えのない問いに挑戦することが多くなります。その解法を見つけるためにいろいろなことに挑戦しては失敗し、挑戦しては失敗し、そしてときどき成功します。解法のプロセスを探すには、多くの引き出しが必要なのです。
そういうわけで、旅人算の解法として2つの引き出しを持っておくことには大いに意味があるのです。
必要性を伝えることの大切さ
私は「夏休みの宿題代行サービス」を否定しません。
学校の宿題というのは、生徒全員に一律に課されます。非常に非効率です。
例えば、既に漢検準1級を持っている小学6年生が、夏休みの宿題の「10回ずつ練習しましょう」という漢字プリントをやることに意味はありません。そんなものは宿題代行サービスにお願いして、漢検1級のための勉強に時間を使ったほうが有意義です。
逆のパターンもあります。まだ足し算や引き算の計算が定着していない子どもが、四則演算の計算ドリルの宿題に取り組むことは非効率です。そんなものは宿題代行サービスにお願いして、足し算引き算の計算ドリルを解いたほうが有効です。
一方で、宿題というものは、クラスの学習習熟度の平均値辺りに有効なものが課されること多いです。よって、多くの生徒にとっては宿題にしっかりと取り組むことは有意義なのです。思考停止して、全部宿題代行サービスに丸投げしてしまうことは悪です。悪以外の何者でもありません。
さらに、ここで「有意義かどうかの判断を子どもが下すのは難しい。」という問題が出てきます。
例えば、「自由研究なんかやっても受験では使えない。」という短略的な判断を下してしまうのは危険です。
私は高校生の物理の授業で、学校の勉強とは関係のない実験を初めてさせられました。ある現象がなぜ起こるのかについて、自分で仮説を立てて、それを実証するための実験を考えて、結果の考察から新たな仮説を立てて、またそれを実証するための実験を考えてというものです。
それまで、「授業中に実験方法を教わって、教科書で求められている実験結果が出れば実験は成功」という実験をさせられてきた身としては、「実験」という概念の根底をひっくり返すような経験でした。この経験をして初めて、夏休みの自由研究の大切さを実感したものです。
ですから、必要かどうか、有意義かどうか、意味があるかどうかについては、大人が子どもにアドバイスをしてあげる必要があるでしょう。個別に生徒それぞれに合ったアドバイスをするなんて、時間的に無理だと思われるでしょう。私も無理だと思います。
そうであれば、AIを活用しましょう。私はプログラマーではないので詳しくはありませんが、それぞれの生徒に合った個別の学習プログラムを作るくらいのことは、技術的には既に可能なのではないでしょうか。
本質を伝えることの重要性
冒頭でも紹介した「旅人算の典型的な問題を、数値を入力するだけで答えが出せるというサイト」は、有意義なサイトです。宿題代行サービスも、現状では有意義なサービスです。問題なのは使い方です。
「それを利用することは、長期的に見て自分に必要なものなのかどうか。」をよく考えなければなりません。
「それを利用すれば遊ぶ時間が増えて楽しい!」という、短期的な利益を追求してはいけません。
ですが、子どもたちはまだ本質的な勉強の必要性を理解していません。現在の子どもたちにとって、学問とは教えてもうらうという受動的なものであって、学ぶという能動的なものではないのです。なぜ勉強するのか、勉強が何の役に立つのか、勉強をどう使うのかを考える機会が圧倒的に足りていません。
「勉強を教える仕事」は、ITやAIを積極的に利用すれば、労働資源を劇的に節約することができると思います。例えば、映像を活用して授業を行えば、先生の授業時間や授業準備の時間を大きく削減することができます。AIを活用して個別に宿題を出して、採点までされるようにすれば、先生の負担を大きく削減することができます。
一方で、能動的な学びを促すような本質的な教育というものは、現状では一人ひとりの人間にしかできない仕事です。この学問の本質の部分に、学校の先生たちの時間を振り分けられるべきです。
今の学校の先生は忙しすぎます。そして、教育機関は保守的すぎます。
テクノロジーをもっと積極的に導入し、教育システムそのものを見直す必要があります。
その結果として、子どもたちがマルとバツの世界から脱却し、学ぶことの本質に近づくことができたのならば、教育の未来は明るいと思います。
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