見出し画像

【映画感想文】夜明けのすべて

『きみの鳥はうたえる』、『ケイコ 目を澄ませて』(そして、ネトフリの『呪怨 呪いの家』)の三宅唱監督の最新作『夜明けのすべて』の感想です。

監督の作品で最初に観たのは『きみの鳥はうたえる』だったんですが、正直、これは僕、苦手だったんです。というか、そもそも、この頃何作も映画化されていた佐藤恭志さんの原作が苦手で(『そこのみにて光輝く』も『オーバーフェンス』も苦手です。)。この人は自律神経失調症を患っていたらしいんですが、そういう人が持つ(いや、佐藤恭志さん本人が持つですかね。)自分を取り巻く世界への呪詛や諦念や絶望、それでも自分の弱さは認めないというイキリなどで作品が出来ていて(いま思えば、そういうところを隠さず描いているのが素晴らしいということなんだろうなとは思うのですが。)、そういうところを持ち上げてるように感じてしまって、うーん…なんかモヤモヤするなとなっていたところに、このひとが41歳の若さで自死しているというのを知って、なんか、世間に対していじけるだけいじけて死んでしまうなんて、なんて自分勝手なんだと(これもいまから思えば、作品に描かれていない自己否定やどうしようもない世間との齟齬に苦しんでいたんだろうと考えられるのですが。)思ってしまい、どうにも当時は受け入れ難かったんです。ちょうど同じ時期に公開されていた濱口竜介監督の『寝ても覚めても』の方が、ナチュラルに狂っている主人公たちにそれでも生きて行くんだっていうエネルギーを感じて、そっちに共感してしまったんですよね(冷静に考えればこの共感の方が一般的でないのかもしれませんが。)。

なので、三宅唱監督作品が苦手ではあったんですけど、高橋洋さんが脚本を書いたNetflixドラマの『呪怨 呪いの家』を三宅監督が撮るということで、『きみの鳥がうたえる』の監督がどうやってホラーを撮るんだろうという興味もあって観たんです。そしたら、過去に実際に起こった事件を呪いとして描くという、一歩間違えたらリアリティもホラーとしてのフィクション性も両方なくなってしまうような脚本を一定の距離を保ったリアルさで描いていて、家という最小限のコミュニティーが社会的な事件と繋がることで観ているこちら側とも接続してしまうような怖さを淡々と(していながら呪いで人が消滅してしまうというB級ホラー表現でも)描いていて良かったんですよね。僕は、ホラーが撮れる監督は基本的に信用してしまうので、俄然三宅監督いいじゃんていう風に変わったんです。ここで。

で(まったく『夜明けのすべて』の話になりませんが、もうすぐです。)、いっこ前の『ケイコ 目を澄ませて』なんですけど、これがとても良かったんです。聴覚障害を持ちながらボクサーとして活動する実在の女性の日常を追った原作を映画化したものだったんですけど、現実を現実としてリアルに描きながら、障害を持ってるひとを弱者としても描かない。そして、でも、だからといって社会が障害を持つひとに対して障碍者ではない僕たちと同じように生きられる場所なのかといと、決してそうではないというところまで描く。ただ、彼女たちが強く生きてるだけ。強く生きざるをえないだけ。『きみの鳥はうたえる』で描いてた若さゆえの呪詛とイキリよりももう一歩大人になった世界の現実の見方だなと思いました。で、この現実を受け入れながらそれでも世界は優しくあって欲しいという描き方に、僕は北野映画の根底にあるやさしさを感じたんですよね。

ということで『夜明けのすべて』(お待たせしました)なんですけど、ここまでを踏まえて更にもう一歩先というか。ある種の理想の世界のように見えてしまうかもしれないんですけど、そこに行きつくまでの三宅監督の世界の見方の変遷を見てるので、その理想への本気度というか、監督の(映画の感想を言う時にあまり好きな表現ではないんですけど)祈りの様なものを感じたんです(世界はこうあって欲しいというより、こうあるべきだというような。そして、そこには現実というものが常につきまとっているんですが。)。PMSを患う藤沢さんとパニック障害を患う山添くんのふたりが最良の距離をみつけるまでの物語であり、それを実現させるにはふたりを取り巻く世界がどう機能してないといけないのかというフィクション(このフィクションという部分が監督の祈りなんだと思うんです。)。ただ、それでも、このふたりが完全に救われるわけではないという現実も描きつつ、じゃあ、誰がこの世界の中で救われてるの?という問いかけ。そこまでを描いたうえで、だったら(それでも)世界はやさしい方がいいじゃんという諦めに似た希望ですかね。そこに僕はやっぱり今回も北野映画に近いもの(諦念の中にある希望と言いますか。特にこの映画の場合、聾唖であるということがバスに乗り遅れるということ以外特に不便なこととして描かれない『あの夏、いちばん静かな海』を思い出しました。)を感じるんです。

えー、で、とはいえ、それをそれほど重いタッチで描いてないところがこの映画の真骨頂でもあるわけで。そういう中で起こる、駅のホームまではなんとか辿り着いたけど、入ってきた電車の扉が閉じるまで一歩も動けないまま固まってしまう。そうか、そういうことが日常の中で普通に起こるんだよな…というのをちゃんと(映画の中で)知ってるひとの身に起こるというのを体感出来るのも映画の重要性なわけで。ここのシーンの山添役の松村北斗さんの演技素晴らしかったですね。大げさなアクション一切なしで意志とは関係なく身体が動かなくなる感じ、痛いほど伝わってきました。もちろん藤沢役の上白石萌音さんの普段のおっとりしたイメージを逆手に取る(ああ、こういうひとでも感情に歯止めが効かなくなっちゃうんだなという)ようなふり幅のある演技も素晴らしかったですし、この小さなコミュニティーの話を宇宙と対比させたのも良かったです。映画自体が視点を拡げるとみんな一緒だって言ってる映画でもあるので。





この記事が参加している募集

映画感想文

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。