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【映画感想文】母性

湊かなえさんの原作を『ヴァイブレータ』や『ノイズ』の廣木隆一監督が、戸田恵梨香さん、永野芽衣さんのW主演で映画化した『母性』の感想です。

なんとも気味の悪い話(だからといって面白くないわけじゃないんですよね。なんか不思議な映画でした。)というか、そもそも原作の湊かなえさんの作る話というのが(僕が観たやつはどれもこれも)気味の悪い話で。今回のは特にむき出しの気持ち悪さといいますか、人間の繋がりの最も深いところを描きながら、それを全力で否定してるような。なぜ、これを映画にしようと思ったのか。その辺の理解出来なさがむちゃくちゃ気持ち悪かったんですよね。

湊かなえ作品の映画化として、まず思いつくのは『告白』だと思うんですけど、あれも嫌な話だったじゃないですか。ただ、『告白』の場合は、サスペンスとかミステリーっていうジャンル映画的過剰な演出という、いわゆる"オモシロ"要素が入っていて。ちゃんとフィクションの中にあるリアリティとしての人間の闇みたいな、そういうのが見えてたと思うんです。本来なら知りたくもないような人間の嫌な部分を、過剰なエンタメにすることで衝撃的に見せる(ていうか、そうしないと見れないじゃん。こんな嫌な話)ってことですよね。で、今回も予告編ではいかにもそういう見せ方しますよ〜って感じでアピールしてたんですけど、いざ本編を観てみたら全然過剰じゃないじゃん。いや、なんなら普通の映画よりも淡々と見せてくるじゃん(だから、これはもう予告詐欺なんて言われてますけど、そう言われても仕方ないよなと思うわけです。)。なので、まぁ、終始気味が悪いだけという。なんでこんなもの見せられなければならないのか…という気持ちになるわけなんですよ。

でね、いや、あるにはあるんです。映画的ギミックというか、過剰に描いてるところ。例えば、戸田恵梨香さん演じるルミ子が子供の頃に住んでいた家というのがいかにも70年代的というか、記憶の中の昭和というか、ファンタジックに描かれていたり(ちょうど前回感想書いた『ドント・ウォーリー・ダーリン』のああいう箱庭的な感じなんですけど。)、高畑淳子さん演じるルミ子の義理の母親なんかも、その嫌なところを煮詰めて煮だしたような昭和的な嫌な姑で、過剰と言えば過剰に描かれてるんです。けど、これ、どうにも映画を面白くしようとして過剰にしたようには見えないんです。というよりは、単に人間の嫌なところとかダメなところを強調するような過剰さで。だから、中島哲也監督の『告白』がアッパーな気持ちが上がる過剰さだとしたら、こっちは、めちゃくちゃダウナーな気持ちが下がり捲る過剰さなんです(ルミ子の実の母親とか、旦那の描き方も実際にいそうな人物のヤバイ部分をより強調してるみたいな描き方でした。)。

だから、登場人物の内なる闇が見えるというよりは、その登場人物たちへの視線の気味悪さなんだと思うんですよね(原作の中にそういう視点があるんだと思うんですけど、そこを映画として更に剥き出しにしてる感じ。)。そうやって徹底的に観客を嫌な気分にさせるエンターテイメントはあるわけですけど(『ファニー・ゲーム』とかのミヒャエル・ハネケ監督作とか。)、でも、そういうのって明らかにサイコ的な事象を描いていて、それは常人には理解出来ない地平のものを見る"面白さ"っていうのがあるんですよ。で、これはそれとは違うと思うんです。だって、『母性』だから。母性って言われながらサイコな描き方したもの見せられて、え、これが母性なの?って。そうだとしたら母性って気持ち悪いな(そういうつもりで描いてるのかもしれないんですけど、それが映画的なエンターテイメントになってないんですよ。)って思うんです。

そうやって、気味の悪い話だなと思って観てたら、映画の最後、エンドロールのところで、なんだかよく分からないけど全てに肯定的なJUJUさんの曲が流れて来て、それまでのストーリーをうやむやにして良き話としてまとめていくんです。なんだか、カルト宗教のどんなヤバイことでも良きこととして信じさせるみたいな、そういう洗脳プロセスのように感じて。いや〜、徹頭徹尾気持ちの悪い話だなと思いました。


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