ブリグズビー・ベア
まず、設定が秀逸なんです。ジェームスという25歳の男性がいて、部屋の中で古いビデオテープを観てるんです。擦り切れそうな程古いVHSのテープで、それが膨大な数あるんです。その家にはジェームスと父親と母親がいて親子3人で暮らしているんですけど、人里離れた荒野の中の一軒家でシェルターの様な建物に住んでいるんですね。で、そのジェームスが熱心になっているそのビデオというのが「ブリグズビー・ベア」という着ぐるみの熊が主人公のSFバラエティー番組で、ジェームスは子供の頃から毎週家に送られて来るこのビデオを観て、ここから得る知識だけで成長して来たということなんです。(ブリグズビー・ベアという熊型のキャラクターが宇宙の平和を守りながら、その中で人生に必要な哲学とか、もっと実用的な、例えば計算の仕方なんかも教えてくれる様な番組なんですね。)でですね、僕は特に前情報を入れずに観に行ってたので、ここまで観た限りでは、近未来の荒廃した地球に生き残ったある親子が、前時代の人類が残したVHSを観て、その番組の教えに従って生活して行くみたいな、そういう話なのかな?いや、それにしては演出があまりにも普通というか、ショボイというか。これ、ここから面白くなるのかな?みたいな感じだったんですね。そしたら、その人里離れた荒野のシェルターに、ある夜パトカーがやって来るんです。
つまり、何のことはない、これは現代の話で、ジェームスが両親だと思っていたふたりは、生まれたばかりのジェームスを連れ去った誘拐犯で、ジェームスを監禁しながら25年間育てていたということなんです。ジェームスを外出させない様にする為、外は既に荒廃していて、周りに人類はおらず、シェルターから出ると危険というエセSF話をでっち上げてたというわけなんです。で、ジェームスの教育(とホラ話の設定強化)の為に父親自身が自作した「ブリグズビー・ベア」のビデオを毎週郵送していたということなんです。で、警察が来て全てかバレてしまい、いよいよジェームスが現実の世界や人との関わりを持って行くって展開になって行くんですけど、誘拐犯に監禁された母親とその後に監禁部屋で生まれた息子が、そこから解放されることによって、外の世界に触れ覚醒していく姿を追った「ルーム」って映画を思い出しますよね。ただ、この映画の設定が秀逸と言ったのは、話がそうは行かなかったからなんです。
「ルーム」の作者が生きることの喜びを強調する為に作った設定に対して、この物語の作者が何を言いたかったのかというと、"創作することへの喜びと畏怖"(つまり、それが生きることと同義だということ)だと思うんです。ジェームスは25歳にして初めてシェルター外の世界に触れて、(ニセの)両親以外の人間に会うんですが、そのことによって特にジェームスの考え方は変わらないんです。(個人的にはここがこの映画の一番良かったというか、面白かったとこなんですけど、)ジェームスはわりかし何でも受け入れるというか、何が起こっても「ああ、そうなんだ。」くらいの反応をしていて。それは何故なんだろうと思ってたんですけど、それって、たぶん、ジェームスには「ブリグズビー・ベア」っていう圧倒的に信頼してる思想があったからだと思うんですよね。(例え、それが素人のおっさんが作った思想だったとしても、)受け取る側の考え方ひとつで自分を守ってくれる鎧にもなると言いますか、他人から見たら価値がない様な物でも人生を支配してしまう様な力を持つことだってあるってことを言ってるんだと思うんです。そういう創作することへのリスペクトみたいのがあって。監禁されていた狭い世界から何でもある自由な世界に出て来たことに圧倒されないのは、既に「ブリグズビー・ベア」っていうもっと広大な世界を学んでいたからってことで。そして、それまでその世界だけで生きて来たジェームスが、それ以外の世界を知った後に何をするのかというと、今度は自分で「ブリグズビー・ベア」を作ろうとするんです。つまり、自分の人生に影響を与えて、自分自身を形成するキッカケになった物を今度は自分が作り手になって世界に向けて発信して行くってわけなんです。これって物を作る人のもの凄く根源的な喜びのひとつだと思うんですよね。(話がこっち側に向かった時に「あ、この映画好きかも」って思いました。)
で、もうひとつ"畏怖"の部分なんですけど、これは今度は親側の方に集約されていて。えーと、ジェームスには誘拐されて25歳まで育ててくれた(誘拐犯に対して"くれた"というのもおかしいですが、でも、そうなんです。)両親と、解放されて戻って来た家の、これからの人生を共有する実の両親のふた組の親がいるんですけど、まず、誘拐した方の(ジェームスが言うところの)"昔の親"なんですが、この父親は本当の親ではない代わりにジェームスに物の考え方を与える役割を担っているんですね。(「ブリグズビー・ベア」という創作物を使って。)で、観ていてそれが愛情から始まっていることは痛い程分かるんですが、これって実際は洗脳ですよね。(いくらジェームスがそれを受け入れていても与える側の都合で行なっていたらそうなんです。ていうか、この物語自体が宗教団体による洗脳みたいなものの暗喩を含んでますよね。本人が望まないまま植えつけられてしまった教えみたいな。)これは、創作物にはそういう側面もあるってことを言ってるんだと思うんです。(この父親をマーク・ハミルが演ってるのもいいんですよね。マーク・ハミル自身が「スター・ウォーズ」っていう巨大な創作物で人生を形作られてしまったというのがあるから。そこに愛情や哀れみや痛みとかいろんなものを感じるんです。)で、今度は、知らないうちに自分の息子が思いもよらない思想を信じてしまっている側の実の親の方なんですが、もちろん、最愛の息子を奪った犯人が植え付けた思想なんて受け入れられるわけがないのは分かるんです。なんですが、これは親としては受け入れなくてはならないんですよね。だって、それによってジェームスがとても魅力的でタフな人間に成長しているのは一目瞭然なので。(この誘拐した側も誘拐された側もどっちも辛いっていうの良かったですね。得てして親は辛いもので子供っていうのはそんなこと気にせずに成長するもんなんですね。)つまり、これは息子の変化を成長として受け入れられるかってことだと思うんです。(成長を見守る時間が一切なかったのは本当に辛いでしょうけど、)その場合、その思想の元になった創作物を見るのではなく、成長した本人そのものを見られるかってことだと思うんです。
でですね、この"畏怖"の方はストーリー上ではあんまりはっきりとは描かれないんですね。(コメディってこともあるんでしょうけど、)創作をすることの幸せな面が中心に描かれているんです。でも、じゃあ、なぜ誘拐犯が作った番組を誘拐された子供が受け継ぐなんて話にしたんでしょう。(そう考えると描かれてない部分の重要さを感じますよね。なので、創作をするということの、その思想に関する良し悪しの両面を語っている映画だと思います。)そして、ただ、この映画のほんとの面白さはこういうこと以外の部分だと思っていてですね。それは何かというと、人が思春期になって自分の信じてる物を仲間と分かち合うことだったり、それを形にしていくことの楽しさだったりっていう人生にとってもの凄く当たり前の部分で、そこがとても丁寧に描かれていたのが、そして、そういう意味でちゃんと青春映画になっていたのが良かったんですよね。
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