見出し画像

#54 -昼下がりの珈琲の匂いが蘇らせる温かめの記憶。

お昼過ぎに淹れるコーヒーの匂いがすごく好きだ。

なぜか朝に淹れる時とは違った匂いのような気がする。


基本ボクはコーヒーは一日一杯。朝にハンドドリップまたはモカポットを使ってアメリカーノを淹れる。どちらにするかはその日の気分によって変わる。

夕食後にイタリア人きどりでモカポットでエスプレッソを淹れることこもあるけど、お昼にお家でコーヒーを飲むことはあまりない。

だからお昼下がりの家に珈琲の良い香りが行き渡るととても新鮮な感覚になる。

でも何時からか、

それだけじゃない。なにかもっと自分の中にある深い思い出と関わっている。

と思うようになった。

部屋中にほんわり広がる珈琲の匂いをたどっていけば、ある記憶のイメージがぼわーっと浮かぶのだった。

匂いは昔の記憶や感情を思い出すのにいちばん効果があるらしい。

ボクはその意見に150%賛成する。

きっと誰もが経験済みだとは思うけど、ある特定の匂いが鼻腔に入った瞬間に、遠く昔の記憶のワンシーンがフラッシュバックのように、頭の中に再現される。そしてその時に感じた感情なども同時に感じることができる。

これはプルースト効果として知られていて、同名のフランス人作家の作中に、特定の匂いをかいで記憶が鮮明によみがえるシーンが描写されているため、この現象をそう呼ぶようになったようだ。


子どものころに家族で花火をした時の火薬の匂い
注射の前にするアルコール消毒の匂い
好きだった女の子が使っていた香水
祖母が使っている着物の防虫剤の匂い
初めてアメリカに旅行行った時のホテルの通路の独特な匂い

同じまたは似たような匂いを嗅ぐたびに、それぞれの瞬間・風景が鮮明に思い出せる。人間の脳って本当に不思議なものだ。

昼下がりの珈琲の湯気をたどっていった先には、実家の居間の風景があった。食器棚の中にある日頃は使わないソーサーにのっけないと倒れてしまいそうな品の良い紅茶・珈琲用のカップがそこにある。

誰かが会話しているが、会話の内容までは聞こえない。時間帯的には昼下がり。部屋の中にもかかわらず、妙に明るいのはきっと思い出の中だからなのだろうか。

思い出の中は夢の中と同じで登場人物の顔はぼやけているけど、自分にはそれが誰かはわかっている。

母が珈琲を淹れている。そして部屋中に珈琲のいい香りが広がっている。


と、ただこれだけ。1シーンというよりは1枚の写真のようなイメージだ。でもこの情景が頭に浮かぶと不思議と温かい気持ちになる。

しかし母はボクの覚えている限り、家で一人でコーヒーを飲むことはあまりなかった。

ああ、そうか。

きっと父が家にいたからだろう。

父は多くの昭和のお父さん同様、あまり家にいなかった。
単身赴任で小学生時代の大部分の時期を他県で生活していたのもあって、小さなころの思い出というものが多くない。

この珈琲の匂いは父が昼下がりに家にいた時の証拠なんだ。数少ない機会だったとは思うのだけどそれだからこそ、自分の記憶の中に深く残っているのかもしれない。

父が家にいたことが嬉しかったのか、旦那が家にいることが嬉しくて気分の良い母を見て自分も嬉しくなったのか、ただ単に珈琲と一緒についてくるビスケットを分けてもらえるのが楽しみだったからなのかはわからない。

ただわかっているのは、思い出のシーンから30年近くが経った今も、昼下がりに珈琲の匂いをかぐと、この実家の居間の情景が目に浮かび、温かい気持ちになる。ということ。

朝のコーヒーや夜のエスプレッソではこのシーンがでてくることはない。「昼下がり」というなんとも限られた時間に淹れられた珈琲だけが、この記憶を蘇らせることができる。ほんと人間の脳っておもしろい。


そんなこともあってか、珈琲はボクにとって、日々の生活に欠かせないものとなっていた。

ホームオフィスで作業をしている時、珈琲の入ったコップはキーボードの横にあるコースターの上に置かれている。ドアを閉めているだけに部屋じゅうに珈琲の匂いが充満している。

作業中は入ってきちゃダメだよ。

という忠告は何度も無視され、娘がよく部屋に入ってくるのだけど、その度に、

あ’’’ーーー、こぉひぃのいい匂いぃーーー

と自分がコーヒーを飲めないことを悔しがり、なんでこんなにいい匂いなのー?と聞いてくる。

そんな珈琲の香りが大好きな娘をみてると、

もしかしたら娘も、大きくなった時に昼下がりの珈琲の匂いを嗅いで、このホームオフィスの景色を思い出したりするのかなー?

と、思ったりする。


きっとたくさんの人が同じように、ある特定の匂いをかいでは、
「あの時のあの光景」を思い出したりしているんだろう。

それは甘酸っぱい記憶かもしれない。もしかすると怖い思い出かもしれない。でもきっと多くの人にとってそれは温かめの記憶なんじゃないかな?と思ったりする。


よし、ちょっと珈琲でも淹れてこよう。

書くことを仕事にするための励みになります。