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ものを分けてみる【IB・MYP・Science】ものシリーズPart5

重い・・・。
腰が重い・・・。
気づいたら前回の投稿からまもなく4ヶ月・・・。
頭の片隅に書きたい気持ちはずっとあったんです。あったんです。
けど、日が経てば経つほど書く気持ちが重たくなるという不思議。

細々切れ切れではあるけれど、続けまーす。


3−1 ものを分解してみる


さて前回までで「もの」という言葉の共通理解を図り終えました。
ここからは一つ大型のアクティビティをいれようと心に決めていました。
こんなスタートです。

「ものを分解してください」

すると生徒たちは、「え?いいの?」というような顔をして、
目をキラキラさせてこちらをみてくるではありませんか。
なんなんでしょうね。分解してみたいという根源的な欲求は。

とにもかくにも、
彼らにはいくつかの条件を与えはしたものの、(破壊しない。生き物はあかん)何でもいいから家からもってきてください。と指示しました。僕自身のねらいがいくつかあります。


3−1.1 分解することで自然な疑問を生む

まだ新Unitに入ったばかりということもあり、彼らの抱いた疑問から出発したいなという気持ちがありました。普段よく目にしているものだからこそ、その中身を見ていくことで、驚きや疑問、気づきや発見が生まれそれがUnitを進めていく駆動力となるだろうと思ったわけです。

3−1.2 生活の中にあるものは、あまりにも整然としすぎている

加えて日頃から僕自身が感じていることもこのアクティビティを生む要因となりました。僕らが普段目にしているものの多くは、あまりにも整えられ過ぎており、そしてあまりにも中身が見えづらくなっている。ということです。原理はよくわからないが、どうやら機能していて生活を便利にしてくれるものに囲まれています。だが、意外と中身を見てみるとシンプルな素材の組み合わせになっていることに気づけるのかもしれない。
そして、その素材は最初からその素材として地球上に存在していたわけではないということに行き着くことができれば、前回説明させていただいた

人間は変化のちがいを利用して、物を創造した

につながっていくのでは?というのが僕の主なねらいとなっていました。


3−1.後日談 結局このアクティビティはどうだったのか?

結論、3割ポジティブ7割ネガティブでした。
ポジティブな側面としては、アクティビティとしておもしろい。そして、生暖かい疑問が数々と生まれてきました。以下にいくつか例をあげます。

  • コードを色で分ける意味は何なの?

  • 小さなネジと大きなネジを使い分ける理由は?

  • ネオジウム磁石ってなんでこんなに強力なの?

  • 画面ってどうなってるの?

  • 電子基盤って何で作っているの?

  • なぜパソコンの外側はプラスチック製なの?

  • 目玉焼きの端っこみたいなやつってなんであるの?

  • 歯車が上下でつながっている理由は?

まだまだありました。とにかく、生徒にとって生の体験は強い。
そう感じたアクティビティでした。

ネガティブな側面。
これはやってみるまで想像もつきませんでした。
生徒たちは、分解していく過程でものを構成している部品や素材に出会います。するとどうしても、目で見て分かる違いに注目が行きがちでした。
配線の色のちがいの意味や、ギザギザの形をした部品がもつ機能
目が引かれているようすでした。
今回の授業設計は「変化」をKeyconceptにおいたものでしたので、
若干ずれるといいますか、せっかく生徒が出してきた問いを
うまく利用することができないという事態が起こってしまいました。

3−2 分解したものを並べてみる

このアクティビティは振り返ってみると、全く必要なかったです。
分解したものがそのままぐちゃぐちゃに放置されているとゴミのように
見えるなと思い(これは僕の思い込みだと後で気づきました)
分解したパーツをボードに貼り付ける作業を行いました。
作業を行いながらも、頭がぐるぐる動いたり、
気づけなかったことに気づくという経験はあるので
本当に不必要だったかはわかりませんが、
全体の期間が伸びてしまい、時間をかけるべきところにかけきれませんでした。

生徒が分解したもの1
生徒が分解したもの2
生徒が分解したもの3

ちょこっとメモ:分解という考え

ものを分解するユニットを終えた今思うことです。
人間はものを使用するとき、使用できるレベルにまでするために
分解してシンプルなものにするようです。
世界はあまりにも混沌としていてカオスですから、
人間にも理解可能なレベルにまで細分化するのだと思ってます。

これはものに限らないなと思う今日この頃。
「こと」も分解して考えることが重要だと考えます。
分解しなければあまりにも「こと」は混沌としていて、
人によって「こと」に対する認識のズレをもっている。
無自覚なままズレの上に言葉を並べてしまうため、
亀裂や衝突が生まれると思うのです。
「りんご」という言の葉(こと)も人によって
赤りんご、
かじったりんご、
切ったりんご、
青リンゴ、
りんごの木、
・・・と違うことは想像に難くないのではないでしょうか。

授業をしていてよく生徒に(自分にも)問うのは
これは本当に事実なのか?ということです。
ただ、その問いかけをすると事実とは何ぞや?という話になり、
極論の話、目の前で起こる体験にしか「事実」という言葉を
当てはめられないのなら
そもそも事実なんて、この世には残っていかないのでは?
なんて思うようになり・・・沼にはまるんです。
自問自答して苦しむこともありますし、
教職員の間でもたびたび議論になります笑


この「事実」ということの捉え方についても
書きなぐりたい、という気持ちが今あるのは・・・

うん、事実。

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