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「花粉症です」は何のシグナルか?

 この時期になると私は花粉症の症状に襲われる。初めて症状が出たのは小一のときである。全く誇らしくないが、花粉症に関しては30年のキャリアがある。

目が充血すれば「なぜ目が赤いの?」と物珍しそうに見られ、症状が出ないようにと効き目の強い薬を飲めば眠くなるので「怠けている」と言われる。今では笑い話だが、多感な時期にはそれなりに憂鬱であった。

特に今年は新型コロナの感染拡大防止が叫ばれている中での花粉症シーズンとなる。いわゆる「咳エチケット」を守ることができるかが気になっているところに、次の日経新聞の記事を見つけた。

#日経COMEMO #NIKKEI

花粉症の症状が出ている人がマスクに「花粉症です」と印字されたバッジをつけることで、周りの人に自身が花粉症であることを伝えることができる、というアイディアである。

私が花粉症を患っていることが周囲に伝わることで何かご利益はあるのだろうか?

シグナルの例:アルバイト

 一般に、特定の状況下において、目に見えない情報が可視化されることに利益はある。

ある日、私は以前より取り組んでいた研究を論文として書き上げた。私は英語のネイティブではないので、論文中の英文が適切かどうかが判断できない。一生懸命に取り組んだ研究結果なので「英語が下手」という理由でエディターに相手にされない、という事態は避けたい。そこで英語が得意な人に校正をしてもらうことを考えた。

このことを講義でぼやいたら、AさんとBさんという二人の学生が「協力しますよ」と声をかけてくれたとする。私は二人のうち、どちらかに英文校正を依頼することにした。当然、校正作業の対価は十分に用意するが、予算は有限なので依頼できるのは一人だけとする。

ここで問題になるのは、依頼者である私はAさんとBさんそれぞれについて「どれほどの英語の能力があるか」や「どれほど真面目に仕事に取り組んでくれるか」が分からないということである。同時にAさんとBさんも困ってしまう。学内で完結する気軽なバイトの機会を失うかもしれないためだ。

そこで、Aさんは自身のTOEFLスコアを提示したとする。それを見て「確かにAさんは英語の能力が私よりもある」と考え、私はAさんに依頼をすることにした。

AさんはTOEFLスコアを提示することで、私からは見えない自身の英語スキルを可視化させ、結果として仕事を得ることに成功した。他方で私は英文校正をしてもらえ、少なくとも双方にとって望ましい結果となった。このときのTOEFLスコアは、経済学の用語でシグナルの役割を果たす、と言う。

ただし、TOEFLのスコアがシグナルとして機能するためには、それが「英語スキルの高さ」を示していると私を含む多くの人々が信じている必要がある。

「花粉症です」のバッチは何のシグナルか?

 さて、マスクに取り付けられた「花粉症です」のバッチは何らかのシグナルの役割を果たしているだろうか?

まず、当然のことながら私以外の人々は私が花粉症であることが分からない。仮に私がくしゃみをしていても、それが花粉症の症状か、それとも風邪の症状なのかは判断できない。そこで私がマスクに当該バッチがついていれば、「ああ、あいつは花粉症なのか」ということを知る。

新聞やテレビでバッチのことが広く報道されれば、一定数の人はそれが花粉症を患っている証であると信じてくれるだろう。このとき、バッチは私が花粉症であることを示すシグナルの役割を果たしてくれる。

 平時であれば話は以上であるが、コロナ禍では別である。

いま重要となるのは、私の周囲は私の体内にウィルスが含まれているのかが分からない、ということである。このとき、私が「花粉症です」と印字されたバッチをつけていても、くしゃみによる飛沫にウィルスが含まれているかは依然として不明である。つまり、周囲はバッチが「私の体内にはウィルスがない」ことを意味するとは全く信じておらず、シグナルの役割を果たさない。

 以上が背景にあるかは分からないが、私は記事のバッチをつけている人をまだ見かけたことはない。


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