見出し画像

過去から現在へ(その⑤)。

職場へ地元に戻るため退職することを早めに伝え、あれよあれよと地元へ引っ越すことになりました。
引っ越し日は両親が決めた日で、引っ越し業者を雇うことはなく自分で行いました。

そして、地元へ帰ることが決定したと同時期くらいに、私から彼氏へ別れを切り出しました。約7年の交際は私にとっては長すぎて、これ以上待つこともできず、待ちたいとも思っていませんでした。
別れた時期も遠距離だったため、会うことはなく、電話で話をした記憶があります。それ以来、その方とは会うこともなく連絡もとっていません。
色々と思い出すと後悔はありますが、これで良かったと思っています。

地元に戻り、地元では良いと言われる職場へ入ったのですが、私の中で『何か違う。私のやりたいこと、送りたかった生活ではない。』という気持ちがありました。

またコロナからの避難という意味で都会から地元に戻って来たのですが、職場の入職した直後の研修でコロナに罹患してしまい、入院には至らなかったものの2〜3週間の隔離・療養生活を送っていました。
当時はコロナの感染者を毎日報道しているような時期だったので、職場でもそのような扱いで職場の掲示板に名前こそ載らないものの、所属や年齢などの感染者情報として私の情報が載り、とても恥ずかしく情けない気持ちになったことを覚えています。

療養を経て職場に復帰してからは、激務をこなす日々でした。
帰りが22時過ぎることもあったり、人相手の仕事なので理不尽な怒りをぶつけられることもありました。

でも社会人として、仕事や両親との生活を投げ出す訳にはいかないと思い、『石の上にも3年』という言葉を信じ、我慢する日々を送っていました。
時には両親に自分の中で消化しきれない、仕事でのストレスをぶつけることもありました。それでも2年は耐えていました。

しかし、後少しで3年が経とうとしている時期に、仕事でのプレッシャー等、本当に色々なことが重なってしまい、バーンアウト状態になってしまったのです。
急に涙が止まらず眠れなくなってしまい、知人からのLINEが返せなくなってしまったのです。

普段の私は、どんなに嫌なことがあっても土日に友人と会ったり仕事から離れるとリフレッシュ出来ていたのですが、出来なくなってしまっていました。
正直に今の状態を母親へ話し、職場へも話し、人生で初めて『仕事から離れる』という決断をしました。

『仕事から離れる』というきっかけで、この数年間を振り返り、私はかなり無理をしながら生きていて、自分を抑えつけて我慢していたことに気付きました。
『もうやりたくないことはやるのはやめよう。いったん、これまでの価値観や経験を手放そう』と思ったのです。

そして、手放すきっかけとして、日本から離れて留学するという選択を選びました。私を取り巻く環境の全てから、離れてみたいという気持ちがありました。
また趣味でオンライン英会話を習っているので、英語が得意になりたいと思っていたもの理由の1つです。

気持ちの整理をしたり新たな経験を誰かと共有したいと思って、はじめたのがこのnoteです。
現在に至った経緯を振り返ることで、自分の中でこれまでの経験を消化したいと思い『過去から現在へ(その①〜⑤)』を綴りました。

現在の私は、彼氏なし・仕事なし・留学予定のアラサーです!笑
これから自分探しの旅へ行ってきます✈️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?