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はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・①-

 サイン会について書いてみようと思い立ったものの、どのようなことを書こうかと思案しているあいだに年を越してしまった。
 何回かサイン会や講演会に足を運ぶと、同じ顔を見かけることがある。しかしなぜだろう、好きな小説家に一目会いたいというおなじ志で足を運んでいるはずなのに、客同士でその思いを共有したことは、少なくともぼくにおいては一回もない。音楽ライブではまれに隣り合った人たちと目を輝かせて目の前で繰り広げられる光景に盛りあがることもあるのだが、ことサイン会となると、言葉を交わすのは目の前にいる作家本人か、その後ろで進行を支える編集者くらいだ。待ち時間もひたすら静かなものである。(おなじ本屋が催すサイン会に足繁く通うと書店員の方の顔は覚えてきて、言葉を交わせることもあるが、せいぜいそこまでである)
 もしサイン会に足を運ぶほかの誰かと顔なじみになったら訊いてみたいことがあるものの、これまで誰にもその質問を投げかけることができずにいた。かれこれ20年、その質問は胸に秘めすぎていて埃をかぶっている気がしないでもないがあえて訊いてみたい。
 初めてのサイン会は作家はどなたで、雰囲気はどんな感じでしたか? と尋ねるのがこの文脈からすると最適解だと思えなくもない。しかしその答えは、言葉や思いは変われど、たどり着く答えは大差ないだろう。しかしサイン本を初めて手に入れた理由については、若干、人によって異なる物語があるのではないかと勘ぐっている。サイン会に足を運ぶ理由と異なり、たどり着く先が「その作家が好きだから」に必ずしもならないのではないかと邪推している。それはほかならぬ私が、「たまたまあったから手に取った」からで、その作家にたいする愛着も知識も皆無だったからだ。
 初めてサイン本を手に入れたときは、そのようなことは思いもよらなかったが、おなじ本でも、普通に売られている本と、署名が入った本では、ずいぶん扱いが異なる気がする。サイン本は書店でもわりあい目立つところに配架されていることもかが多いし、厳重にシュリンクもしていて中を覗けないようにしている。
 扱いの違いは手に入れるときだけではない。サイン本は手放すとき、普通に売られている本に比べていくぶん扱いにくい。流行作家のサイン本は、中古商品の流通においては「落書き」、つまり「汚損」と見なされてしまい、値段がつかないこともままある。そう、作家の署名は中古業界においては子供が描いたたどたどしい落書きと同等に扱われるのである。(もちろん、教科書に載るような大家の方は別だろうと思われる。その手の本屋に行けば、諭吉さんと引き替えに手に入れることも可能であるが、それは少数派だと思う)
 そのような扱いをされる本をなぜ手に入れるのか、個人的にその疑問をずっと誰かにぶつけたかったのである。単純にその作家が好きだからというのもあれば、発売直後ゆえ、売っているのがサイン入りしかなかったという可能性もあるだろうし、少しでも生活費の足しにしたくて転売してみようと初めて買いましたという人もいるだろう。ただ理由はどうあれ、「初めて」の経験は何かしら記憶に刻まれているはずだ。その初めてのことを少し共有できたらいいなと思う。
 自分の場合、この初めて手に入れたサイン本のことはいまでも非常に鮮明に記憶している。24年ほど昔のことである。小説にのめりこんだきっかけとかはいろいろとあるのだが、サイン本なるものに触れたのはそれが初めてであった。
 その本は芥川賞作家、柳美里の本である。タイトルは『ゴールドラッシュ』。新潮社から出版されたものである。奥付によると初版は1998年11月25日である。久々に手にとって驚くのは、そのはるか昔の日付もさることながら、帯に推薦文を寄せているお三方は(五木寛之、秋元康、村上龍)いまも第一線で活躍されている。そして巻末に収録されている近著案内では町田康、阿部和重、辻仁成、東浩紀といまでも活躍されている方の名前が並べられている。このときの記憶が鮮明なのは、年のせいというよりは、この頃の小説は隆盛を極めていたからなのかもしれない。
 この作品は、世間を震撼させた神戸の中学生が引き起こしたある事件をモチーフにしているようで、当時はほかの作品よりも注目を集めていたらしい。(実際、帯の裏には各新聞の書評記事の抜粋があった)タイトルのゴールドを彷彿させる金色の帯が、注目度の高さを誇示するように店頭入口付近に並べられていた記憶がある。
 当時、大規模な書店は街中に繰りださないとお目にかかれなかった。少なくとも自分が過ごした地方都市には、なかった。つまり金太郎飴みたいに内装や書棚や中の作りが似たような大型書店は、いまより遙かに少なかった。その代わり個人で経営されている、あるいは地方に地盤を固めている小規模な本屋はいまよりもはるかに多かった。いまとなっては叶うはずもないが、もう少しそのような書店を大切にしておけばよかったかなと詮ないことを思う。いまとなってはそのような本屋は絶滅危惧種である。
 しかし当時高校生のぼくには、どうしても大規模な本屋に行かねばならない理由があった。当時のぼくはスペイン語を勉強していた。理由は割愛するが、英語は苦手だが、とりあえずスペイン語を勉強しているという、学校からみれば扱いにくい人間だった。
 当時、外国語の参考書が並べられた書棚で、専用のコーナーを持っていたのは、英語、フランス語、ドイツ語、中国語くらいだった。少なくともスペイン語の本は、文法書も単語帳も一緒くたになって諸外国語の棚に混ぜられていた。そしてそういう外国語の書棚を持つ本屋は、必然的に都会の大きな規模を誇る書店に行かなければお目にかかれなかったのだ。
 そういうわけで毎月一回、自分が住む街から一番近い大都市、京都に向かうのが楽しみであった。スペイン語の本を見つけることもあるが、地方都市ではお目にかかれない本を眺めるのは買えなくても楽しかった。
 当時はとりわけ四条河原町のあたりに繰りだしていたが、このあたりは特色ある大型書店が多かった。
 梶井基次郎の『檸檬』の舞台といわれる、洋書にはとにかく強い丸善。確かここは八階建てくらいで、2階にあった文庫本コーナーには、絶版になった小説が置かれていて、のちのちスペイン語の本よりも、そちらでお世話になることが多かった。少し昔の、買い損ねた文庫なら丸善だと勝手に思いこんでいたほどだ。
 そしてその丸善の斜め向かいくらいに(蛸薬師通りに面していたと思う)、2階に映画館を併設していた本屋、駸々堂があった。間違いなく平面面積としては、当時の京都市では随一の広さだったと思う。そこで観たい映画が上映されているときは、映画も観られるし本も物色できるので勝手に得した気分を味わっていた。
 そして四条通にはジュンク堂書店があった。ここは外国語の参考書が多く取り揃えられていた。それらの本は四条通り側の棚に陳列されていて、眼下に広がる碁盤目の街、京都をよく見下ろすことができた。いまにして振り返るとかなり贅沢なひとときだった。スペイン語の参考書はほとんどすべてここで買ったといっていい。
 ひと通り本屋行脚をして、地下鉄烏丸線で京都に戻ると、近鉄百貨店の上階に旭屋書店があった。ここはノベルス・親書が非常に充実していた記憶がある。大人向けの小説に没頭し始めた頃、文庫本よりはすこし高いけれど、単行本よりお手軽に購入できるノベルスにはほんとうにお世話になった。(後述するがもっとも当時、単行本、文庫本、ノベルスという区別はなかった)当時のぼくは京都に行けば、このような感じでひたすら歩いて本を眺めていた。いまでも京都に行くとすれば、これに似たルートしか歩かない。
 残念ながら、ここに挙げた本屋はいま、すべてなくなってしまった。もう、おのおのの記憶の中にしか生きていない。
 洋書の丸善は、佇まいはそのままにカラオケボックスへと変容した。しばらくはショックのあまり、河原町通りを歩けなかったほどだ。
 そして、駸々堂は倒産した。当時としては大型書店の倒産で結構話題になったはずだ。映画館はその後もしばらく残っていたかもしれない。本屋はもしかしたら、しばらくは別の書店が経営を継承していたような記憶があるが、いまはシネコンの台頭もあり映画館もなくなり、やがて建物じたいが消滅してしまった。
 四条通のジュンク堂は最近まで健闘していたがとうとう撤退した。いまは何があるのか、京都にあまり行かなくなってしまったので知るよしもない。
 そして旭屋書店は近鉄百貨店がなくなり、そのまま撤退してしまった。いまは近鉄百貨店に代わってヨドバシカメラがそびえ立ち、その一角に京都で地盤を固めている大垣書店が入っている。
 懐かしくなり書き殴ったが、そろそろ本題である柳美里のサイン本の話に入りたい。
 ……しかしこれまで挙げてきた自分の記事の文字数を大幅に超えてしまっている。
 実はまだこの話題は折り返し地点である。
 1回完結の予定変更、後半に続く。書いてはみたものの、一度に読ませる量には限界があるのだといまさらながら痛感した次第。 

                               (続く)

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