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この時期になると思い出すのは。

noteを開くのがすっかり久しぶりになってしまった。

前回のnoteから何もなかったかというと全然そんなことはなく、コミュニティのメンバーでの飲み会もあったし、浴衣だって買いにいったし(ユニクロじゃなく、ちゃんとしたやつ)、実家から夏野菜もの届いたし、そんなふうにぽつりぽつりといいこともあって、でもなんだろう、筆が進まなくて(正確に言うと筆ではなく指だけど)、気づいたら1週間たっていた。

そんな中でも、#今日あったいいこと記録 のおかげで、毎日何かしらツイッターにはつぶやいていて。このnoteも、GOJOのグループで今月10記事書く!と宣言したからには書かねば!という半ば強制力のもとに書いている。で、思った。こういう、やり続けるしくみって大事だなあと。続けられるしくみ化。これは常にテーマだなあ。プライベートでも仕事でも。

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そうこうしているうちに季節はすっかり夏。

外を歩いているだけで汗をかくような日も増えたし、帰宅してドアをあけるとむっと暑くてクーラーを入れる日も多い。掛け布団もタオルケットに替えた。実家から届く荷物も、はっさくや水菜やレタスだったのが、きゅうりやトマトや茄子に変わった。

そして今日ふと、もうすぐ7月も折り返しだなあと思ったときに、そういえば京都は祇園祭の時期じゃないかと気が付いた。うおぅ、すっかり忘れていたよ。

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大学時代わたしは京都に住んでいて、当時バイトしていた和食のお店は祇園祭の中心地にあった。まわりに山鉾の拠点がごろごろあって、毎年7月に入るとその界隈はにわかに祭に向けて活気づいていく。お祭りのピークである宵々山、宵山ともなるとお店の前の通りは朝から晩まで山鉾を見に来た人たちでごったがえす。そんな場所にバイト先があったもんだから、4年間結局わたしは観光客として祇園祭を観ることはなく、毎年「ここが一番の稼ぎ時や!!!」という店長の号令のもと、いつもの制服とは違う浴衣を着て、店内では祇園祭特別メニューをお勧めし、お店の前では鱧やキュウリやビールや鮎を並べて道行く人たちに声をからして売っていた。

それが私の祇園祭の記憶。

・・・こういう話をすると「もったいないね」とか「大変だったね」と言われることが多いのだけれど、わたしとしては、これがとにかく楽しかった。

盆地の京都は毎年とにかく暑くて、たまに土砂降りの夕立が降ったりもして。1日が終わると浴衣は汗でぐっしょりと濡れ、慣れない草履をはいて走り回るから足はくたくた。いつもは夜だけシフトだけどこの期間は1日ぶっ通し。かける、数日。

それでも。

お祭りの熱気。喧噪。お囃子。ふわふわとした非日常感。仲間と何かをやりとげる達成感。無駄なアドレナリン。1日が終わったあとの冷えたお酒。「ありがとう」っていうお客さんの笑顔。

そういうのが好きなんだろうな、わたし。

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あれから10年近くたって、その間、祇園祭の時に京都を訪れたことはない。平日だった年もあるし、たまたま休日にあたった年も、なんだかんだと行くことなく、京都ではない場所(大抵東京)から、ああ、今頃祇園祭だなあと懐かしく回想して過ごしている。今年なんてさっきまで忘れていた。

でもこうやって、「毎年その時期になると思い出してはふっと懐かしくなる記憶」があるって幸せだなって思う。

だけどきっと放っておくと忘れていってしまうだろうから。わたしを形作っているものとしてこうやって思い出したタイミングでこれからも書き残しておこうと思う。

#旅と写真と文章と #エッセイ
#夏の思い出 #祇園祭

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