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役に立つのつづき。
こんちは。
さっきこういうことを書いたのですが↓続きを書きたいです。
私は、人の役に立つことが人間の本質なのだと『嫌われる勇気』で理解しました。
それこそが最大の意義なのだと。
ただ、気力体力がない状態、病気で言えばうつ病の状態の時、余計にそれが出来なく自分を責めてしまったりするんじゃないかなぁとは思います。
そんな時は、やっぱり迷わず生活保護などまずは回復出来る環境が必要です。
で、私が今回言いたいのは、その後少し元気が出てきたとき、ここの時点で何か役割が得られると一気に元気になり、社会復帰が出来るんじゃないかなぁ、と思うのです。
少し過保護な考えかも知れません。
ただ、体力の問題で不甲斐ない自分がある時、本当にキツくて悔しいです。
出来れば社会人として生きたいはずです。
なので、ここに何があるかを考えたいなと思うのです。
今、案はないのですが笑
そういうシステムがあるのなら神システムだと本気で思います。
現代、なんでも機械化され人間のやることやる時間が減っています。
わたしはこれが、その役に立つこと、自己効力感を奪った原因なのかなと、機械化の後遺症ではないのかなと思ってしまいます。
これから益々IT化されよりシステム化されると、もっともっと人間の役割がなくなって行きます。
その時に残るのは、自己効力感が味わえない腑抜けの抜け殻なのではないかなと。
少しだけ懸念を抱きます。
仕事が効率化されると同時に、人の役割化も進めていく必要があるんじゃないかなぁ。
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