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役に立つ。

こんちは。

少し大げさかも知れませんが、人生の意義は『役に立つ』ことだと思いました。

社会的にとか、誰かのためにとか、色々あるのですが、自分が誰か(何か)の役に立っている、自己効力感が人生の意義なんじゃないかなぁって、今特にそう思うのです。

おそらく、わたしだけじゃなく人間の行動の動機はそこが多くを占めているんじゃないかなぁ。
人はやっぱ一人じゃ生きられません。
それは、自己効力感が得られないからの解釈です。
どこかしらで誰かのお世話になるから一人じゃ生きられない、ではなく自己効力感が得られないから人は一人じゃ生きられないんじゃないかなぁ。

仕事が得られない時、身内にお金を借りてる時、その効力感は得られません。
贅沢な悩みかも知れませんが、自分で借りを返さなきゃ私の存在意義すら感じません。
ただのお荷物じゃないですか。

人のご厚意は、時に相手の自己効力感を失くしてしまう行為になります。
そのご厚意もそのご本人の自己効力感だったりします。
ご厚意を無碍にするこの言い草は、とても贅沢で不遜なことかも知れません。
ただ、わたし自身の役割りだけを一瞬だけ振り返ってみて欲しいです。
わたし、何の役に立ちましたか?
良いように、操り人形みたいに、箱に入れらたように、大事に丁重に扱われたのかも知れませんが、私が役に立った記憶がありません。
※ここ2-3年の話です。

役目がないと人は気が抜けた、腑抜けの無気力になります。

弔い合戦。
これは見方を変えれば自己効力感の合戦です。

少しでも理解を得られるととても嬉しいです。

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