【2章】「マクロ」と「ミクロ」は法則がまるで違う #011
自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】コラムシリーズ
少し考えれば誰でもわかることを(長い文章で)1章に書いた。
1章「外側と内側では法則がまるで違う。結論も根拠も全て異なる」
次は、少し考えただけでは分かりにくいこと・・・盲点というか、多くの人が見逃していることの根拠を説明しようと思う。
世の中に「〜〜の法則」と言われ、広まっている理屈がたくさんあるが、それらがなぜ間違っているのか、物理法則や科学で証明された法則以外に、どのような法則を肯定していいのか、というようなところに触れていく。
※まとめ結論は目次↓の「2章のまとめ」からどうぞ
■大きいものと小さいものはルールが全く違う。一致するところすらない、という事実
この説明をするときいつも例に出すことがいくつかある。まずそれを書こう。
科学の世界では大きな物事を表す相対性理論という法則がある。アインシュタインが提唱した。一方で原子や素粒子を扱う量子力学という法則がある。
物事は小さいから大きいまで順番に繋がっているはずなのに、この2つの法則は一致しない。少なくともどう一致するかまだ証明されていない。
科学者はこの2つの理論の統合を今日も研究している。
ドラッカーはそれまで街の商店の経営しかなかった世界に、グローバル企業のマネジメントを体系化した。ドラッカーはマネジメントの父と呼ばれている。街の商店を運営するように大偉業やグローバル企業をマネジメントすることはできない。ドラッカーがマネジメントの父と呼ばれており、そこからMBAなどの学問が発展した。
しかしMBAホルダーは小規模事業をマネジメントできない。MBAの理論を当てはめることがそもそもできない。一方素晴らしい中小企業の経営者は大凶の経営者に成り得ない。
大きなものには大きなものの運用があり、小さいものには小さいものの運用がある。両者は方法論も目的とすることも一致しない。
経済学ではマクロ経済とミクロ経済が一致しない。
ミクロ経済とはみなさんの財布事情だ。年収や生活に関わる税金、貯金や個人が行う投資のことだ。マクロ経済とはニュースでよく見る、公共不況、インフレデフレ、輸出入やGDPなどのことを指す。この記事を書いている時点で外貨に対して円は円安になっている。円安になると輸出が有利になる。しかし輸出による日本経済の恩恵を我々が受けることはない。実感もない。ただし外国から輸入するものは相対的に高くなるので輸入品は物価が上がる。石油などモノによってはミクロもダメージを受けることはある。いずれにせよ、マクロ経済が好調でも我々の収入は簡単には上がらない。
科学、マネジメント、経済はたとえ話で、こういった「大きなもの」と「小さなもの」とではルールが異なりお互いに関係しないことをまず知ってほしい。
もう少しわかりやすいものだと、人間でも犬でも猫でもいいが、子供の頃の成長と大人になってからの成長は、方法も意味・内容も全て異なる。細かいことをいえば子供のエネルギー代謝は糖から直接行われ、大人はミトコンドリアが同じことを行う。子供の頃背は伸びる一方で大人は伸びない。そのため背、骨に対するスタンス、接種するべき栄養など全ての物事が異なる。
■このルールを無視したトンデモ理論が世を席巻している
パレートの法則・・・80対20の法則といえばわかりやすいか。私たちは要所の20を押さえれば残りの80を手にすることができると理解している。物事の重要な20%に集中すれば、結果としての80が得られるという考え方だ。
この考え方は明らかに間違っている。
イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見したことは「世の中の富の80%を20%の人が占めている」という結果論であり、社会学としての現象を明らかにした。彼は一言も「20に集中すれば80を得られる」などと言っていない。
「社会学」や「世の中の富」はマクロの物事だ。ミクロに転化して、しかも物事の結果という事象を、ミクロで「そう行動すればそうなる」などということはできない。
ここは直感とは違うように聞こえるかもしれないが、もしそうなのであれば我々の行動の結果消費税は上がるし、我々が毎日一生懸命働くために日本は総じて収入が下がるということになる。逆に日本人が実力をフル発揮してみんなが限界まで働けば経済が潤う・・・などということは決してない。
このマクロとミクロのルールの違いをよく知ってほしい。
win-winの法則というものがある。お互いがwinになるようにしていけばみんなが上手くいく、というような場合に使われる。そのため「自分の利益だけを考えるのではなく、自分の利益を取りたければ相手の利益も考えよう」というような解釈がされている。
これもパレートの法則と同じことが起こっている。60年代にFBI捜査官のハーブ・コーエンが見出したこの考え方は最初『相手自身が気がついていない利益を提示することができれば交渉を有利に運ぶことができる』という意味で使われた。
この言葉が曲げられて拡散したのは「7つの習慣」という自己啓発本によってだ。
占星術が何の目的で作られたのかを探ることはできない。遥か昔のことで記録がないことと、各地域に各地域ごとの占星術があったからだ。だがわかっていることもある。主に2つある。
古代の遺跡が驚くほど東西南北や夏至冬至、秋分春分の日の出日の入りの位置を的確に表していることから、季節を測定する大きな時計として空を利用していた。現実に即さない理論が最初から生まれることはない。方角と季節を云々するのは1年の時間を知るためで、それは季節の変化による作物の収穫や狩場の特定に使われていた。
次が国家運営で、古今東西とりわけ古代には国家に必ず占い師がいた。占い師の仕事は政策に関わることだ。流れ星が流れればどういう意味があるか。戦争はどの時期に行うと良いのか。現代のような科学的アプローチがない時代に、それでも合理的にアプローチしようとしたものが占いだ。
つまり占いとはもともとマクロの理解に向けて作られたものであり、ミクロである誰か個人のために作られたものではない。そういうとたとえば占星術師の中には「国も季節も人も、宇宙の配置から見れば小さな存在だ。星の配置によって決まっていることを明らかにする」という人がいる。だが思い出してほしい。星の配置とはさらにマクロの法則であり、ミクロではない。
そういうロジックが通用するなら、星の配置によって北半球で生まれたあるアリは占星術のロジックに従って幸福や不幸が決まることになる。
何かがおかしいと思わないか?
■スピリチュアルがやっていることはマクロをミクロに当てはめること
どのようなスピリチュアルの種類でもいい。基礎理論・・・というより基礎概念が同じだ。
ミクロではスピリチュアルがやっていることは、スピリチュアルに縁がない人がやっていることと変わらない。この意味でスピリチュアルは必須ではない。たとえば「そろそろ肌寒い季節になってきたな」と思ったら1枚多く着るとか暖房を入れる。同じように「なんだか悪霊が憑いているなと思ったら祓う」。毎日生きていく中で良いことがあれば促進し、悪いことがあれば解決しようとする。調子が悪ければ整体に行き、調子が良ければランニングをするそれだけだ。
しかし、たとえば「神様が関係する」「私たちの魂は大いなるものの一部」「天使の導き」「前世の影響」などマクロの物事がで始めると様子が変わる。もちろん変になる、という意味だ。
神様という存在違いの論理は我々の論理ではない。金持ちの論理がわれわれの論理と異なるのと同じだ。部分的に取り入れるといいところがあるにしても、そのままその通りの考え方をしていいわけがない。
大いなる一部であるなら、最初から端末を云々する必要がない。自分のPCが上手に使えない時に、全てのPCはインターネットで繋がっているということに意味はない。
人間より遥かに上位の存在があるとして(たとえば天使)、かつ彼らは人間を導く存在なのだとして、彼らは人間世界の論理(ミクロ)の話をしているか?われわれに寄り添ってできるべくできるように言っていないなら、仮に人間が、魂が彼らに近づくことが正しいのだとしても、現在のこの世界の人間の事情を無視しているなら何の意味もなさない。
前世の、とりわけムーとかレムリアとか言う人のロジックはこうだ。良き中学の青春時代の同級生は良かった。大人になった今もあの中学時代のように過ごせるよう努力しよう。違う。大人になった現実を上手に運べ。
高次の存在とか、上の次元、カードや占いによる知覚しにくい角度からアドバイスなど、基本として役に立たないと理解した方がいい。理由は簡単でそれはマクロでありミクロとはルールが違うからだ。
参考になることはないのか?といえばある。現実に生かすことができるヒントもあるだろう。だが曲解せず(80:20の法則やwinwinのように)ミクロでも通用する正しい運用をするスピリチュアルカウンセラーはほとんどいない。そもそもマクロとミクロの法則が違うという、この世界の現実が見えていない。
■「大きなものは正しい」という無意識ルール
マクロとミクロの法則が違うのは、1章で紹介した統計情報にも関係する。
われわれの心理にはバイアスがかかっていて、大きなものに対して一定の正しいだろうと想定してしまう無意識がある。4つあるので紹介しよう。
この思い込みは無意識で働いている。誰もそうだと気がついていない。
しかし生活の、人生のあらゆる場面に浸透している。だからわれわれは
・成功者の言葉に流されるし
・巨大な組織には無条件に従うし
・80:20の法則のような理論を無条件で信じるし
・神の啓発的な言葉をありがたがるし
・高いところから広大な大地を見たら感動する
そう、できている。
そう、できているというのは我々のバイアスがそうできているということで、それが正しいということではない。事実に全く一致していないことも多い。
こういう「大きなもの」はどこにあるのか。答えはこうだ。
自分の肌の外の世界=大きい
つまり自分以外のものとは全て大きいものであり(自分+外の何か>自分)、そのため外の世界に我々は影響される。生物学とか進化の方向からも理屈があるが長くなるので省く。
しかし同時に、ミクロである自分自身にとって、外の世界は広大すぎて判断ができない。だから簡略化する。本当はルールが異なる事象を取り入れやすくする。ここで曲解や無理解、誤認や倒錯、そして作為的な誘導と洗脳が起こる。
1章で書いた通り、相手の性質や人生を知ろうとするなら、相手に近づき、会話し、一緒に過ごし、必要な分野を習得し、理解を深め関係性を持続させる必要がある。誰でも少し考えればすぐにわかる。
この作業なしに、自己啓発、心理分析、スピリチュアル、占い、霊感などがその人自身を明らかにするわけがない。自分自身のことを知ろうとするなら、すでに一緒に過ごしている自分といういち個人に対して、自分とは何を感じてきたか考えてきたか、その結果どうなったか。何を積み重ねるとどのようになり、別の何かを継続すると何が起こるのか。まだ無意識だったり未知覚のことで知っていくことは何があるか。「その自分」を知るために新しく習得するべきものは何か。・・・・ということに取り組むことだ。
これらの方法と考え方は全て『ミクロを明らかにする方法』だ。
日本の経済状況に注目する暇があるなら家計簿をつけろ、と言っているようなもので的を得ている。
ところが我々は大きなものに流される4つのバイアスがあるために、家計簿を放り出して世の中のニュースを拾おうとしてしまう。マクロを重視するほど、反比例してミクロは軽視される。
■知らない、わからないときどう考えるか?
これが心理バイアスとマクロの関係だ。
マクロに傾倒しミクロを疎かにしている事実に気がつけば、この状態は意識的に回避できる。日本経済の話をすることをやめ、家計簿をつければミクロにアプローチできる。
統計情報やみんなの常識をわきに置いて、自分で自分のことを考える。
たとえばコロナ禍であなたはワクチンを打っただろうか?コロナに罹ったらどうなるか。それの何がいけないのか、それともさほど問題にしなくていいのか。ワクチンを打つと「自分が」どうなるのか。コロナに罹らないのか、極小の可能性として拒絶反応で死ぬのか。
どうなるかわからない。ウイルスやワクチンのことを知らない、というのなら「知らない」「わからない」ときにどうする自分なのか。そういうミクロを問う。
わからないのだから、打った人がどうなっていくか観察しよう・・・とするのも考え方は悪くない。しかしそれは「マクロで何が起こるかを統計的に見る方法でしかない」ことを予め知ってやった方がいい。マクロの結果はミクロの自分の結果になるとは限らない。
1章で書いた「統計で示されているからあなたの個性はこうです」という間違いを思い出してほしい。
■2章のまとめ
マクロとミクロは法則が異なる。一致しない。
人は大きなものに簡単に流される。
このことからマクロであるはずの物事を、ミクロで扱われていることを目にしたら距離を取る。
ミクロとして何が必要か?の考え方に切り替える。
マクロは参考にしてもいいが、マクロの結果はミクロとイコールではないことを知ってやった方がいい。
自己啓発は大きな理論を曲げて、小さな理論としていかにも有用な武器に見えるようにまとめる。一時期流行った「引き寄せの法則」も同じ。
大衆がなびく流行的な「〜〜の法則」という文言を見かけたら『ミクロには役立たない』と把握する。(ミクロに役立つと書かれていたり言われている)
スピリチュアルや占いはそもそも大きなもの、虎の威を借りてやっていることの正しさの根拠としている。超常はどこにでも存在する。大事でもある。だが個性を生かすこと、人生に役立つことはほとんどない。
それらを分別し、転化するためには知覚の技術が必要で、スピリチュアルセラピストや占い師でそれができるものはほぼ全くいない。そもそも知覚が狭く、専門分野としての理解しかできていない。
成功者は自分が成功した分野と、自分が培った方法が時流と一致したことをして成功者になった。彼らが語ることができるのは彼らの過去だけだ。人生の啓発はできない。その上成功の啓発もできない。できるのは個人の経験を話すことだけだ。その経験は大きな成果の話だろうが、別の種類のミクロには全く通用しない。
心理学とそれを扱うカウンセラーは、個性や個性的な人生を包括しない。全く別の学問分野であり、一部のミクロの目的・・・・精神状態のマイナスを解決する技術であることを理解した方がいい。誰か個人のミクロを明らかにする技術も習慣もないことを認めることだ。
結論、大きなものは根拠にならない。
あなたの活動や正義の根拠にならず、個性や人生を明らかにしたり、良いものにする根拠にもならない。
【コラムシリーズの目次】
自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】コラムシリーズ
■プロローグ
■1章「外側と内側では法則がまるで違う。結論も根拠も全て異なる」
■2章「マクロとミクロは法則がまるで違う」 ※この投稿
■3章「「マイナスの向上」と「プラスの向上」はルールがまるで違う」
■4章「どの専門職も「自分」と「人生」を混同している。多くの場合、その違いすら分かっていない」
■5章「個性を明らかにするには、「個性を探る」しかない(スーパー当たり前なこと)」
■【エピローグ】個性を明らかにするvs専門家の本質
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