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【コラム】あまりにも「わからないもの」を知らないため、「わかろう」として無駄な時間を過ごしている #026

老子あたりなら「無用の無」と言いそうな話題。を、論理的に解説します。


■私たちは「わかる」の強迫観念に事実脅迫されている


話の結論はこうだ。先に書く。
「わからないこと」に長けていることこそが「わかる」分量を増やす
だが納得できない人がほとんどだろう。

まず世の中を見渡してみてほしい。特に仕事をする人を。
彼らは一様に「わからなければならない中毒」に冒されている。わからないことがあれば劣等感を感じたり、うまく誤魔化してその場を離脱したり、逆に正々堂々とわからないことを開き直る。わざわざ開き直らないといけないということは、ただ自然に「わかりません」で済まない、ということだ。

世の中には「知っている者」がくだらない優越感で「知らない人」を貶めるようなことがある。わかっている者は偉く、わかっていない者は劣る、というような風潮がある。
専門家がいい例で、どのような業種の専門家であれ、彼らの大半はドラッカーの言うところの「専門家の傲慢」を抱えている。もっと言えば知らないものを食い物にしている。
このような図式が成り立つ社会では知らないこと、正確にわかっていないことがそのままリスクになる。

学校でも職場でも、サークルでもオンライン上でもこの傾向は顕著に見られる。そのような差別が気に入らない人は、誰がそういう空気と性格を持っているか観察しながら、そうなりたくないもの同士で集まる。しかしこの時点で無為なことに気を使わなければ上手にやっていけないことの現れだ。

私たちはどのような立場、スタンスにいても(少なくとも日本では)わからなければならないという圧力下にいる


■無駄な時間が逆転している


そして我々は、頭がいい者も悪い者も、得意分野も苦手分野も「わかろうとして無駄な時間を過ごす」
これは少し考えればおかしなことが起こっているとわかる。
普通無駄な時間とは「わからないことによって何事も進まないとか、解決しない」ので発生してしまうと私たちは思っている。だが実際は真逆だ。
わからないものをわかろうとし、必要ないことをわからなければならないと思い違いをし、わからない自分にコンプレックスを持ったり、わからない場面で悪感情を持つことで無駄な時間は増えている。それも指数関数的に増える。

理由はこうだ。「わかっている」ことよりも「わからない」ことの方が天文学的に大きいからだ。もう少し正確に言おう。

「わかっている」+「わかり得る」<「わからない」

という公式になる。右側が左側の和より天文学的な数字で大きい。
ひとりの頭がいい人の知識や知恵は、周囲との相対関係で見れば5倍ほど頭がいいかもしれない。もしかすると10倍はいい可能性がある。だが右辺の「わからない」はその分量に億とか兆を掛け算した数字になる。

現実に戻ろう。とは言っても、日常の中で困っているのかもしれない。わからない病という疾患に脳がやられているかもしれない。
「わからなくても幸せだからいいじゃないか」というような理屈は何の説明にもなっていない。昼ごはんを抜いても幸せだからいいじゃないか。デートに遅れても幸せだからいいじゃないか、というのと同じだ。
もう一度要点の戻ってほしい。私たちはわかろうとすることで無駄な時間を生み出している。無駄生産工場になってしまっている。

この状態を脱却することは案外簡単だ。
わからないことを増やせばいい


■わかろうとするのではなく、わからないを増やす


頭のいい人に共通しているある習慣がある。知らないことに直面したらすぐに調べることだ。頭が良くない人はこの習慣がない。
頭のいい悪いはただの属性なので、いい人もいれば悪い人もいる。しかし調べるという行為は頭の良し悪しに関係なく誰でもできる

調べるということは、結局わかることじゃないか、わかろうとすることじゃないか、というのは勘違いだ。調べるほどわからないことが莫大に増える。
小学校1年で国語辞典を使うことを覚えると、知らない単語を調べる。すると説明文の中にまた知らない単語が出る。その単語の意味が分からなければ、元の単語の意味が分からない。だからその単語も調べる。するとまた知らない単語が出てくる・・・・。
そういうとき私たちがやることはメタ認知だ。全体像をつかむことで概ねこのような位置づけで、こんな意味があるのだろうと一定の結論を導く。全てを知ろうとはしない。車の免許を取ったからといってエンジニアのように何でも車のことを知っているわけではないことと同じだ。

メタ認知で全体をつかめばつかむほど、ひとつひとつの細部が持つ「奥深さ」も比例して増える。
例えば焼き物にハマっていい食器を揃えたくなるとしよう。日本だけでも焼き物の里は腐るほどあり特徴も違う。同じ里といってもデザインが好みに合うものがあれば合わないものがある。ではなく量産品の方がしっくりくる場合もある。和なのか洋なのか、用途によっても変わる。星の数ほど数多の皿を我々は心底理解しない。ある程度で選ぶ。選ぶことができる分量まではデパートの食器売り場やギャラリーをはしごするかもしれないが、ほぼ全てを知らないままなのにもう買ってしまう。

つまりわかればわかるほど、知れば知るほど、比較にならないほど大きな数値でわからないこと、知らないことが増える


■わからないことを増やすことが無駄が少ない


これは逆説も筋が通る。
わからないことを増やせば増やすほど・・・・何でもいいからランダムに手を出すということをしてすら・・・・分からないまま終わる無数のもののなかに、わかるに結びつくものが生まれる。
複雑系の科学ではこういうのをネットワーク系というが、その内容は知らなくても根拠思しきものがあることは知っておいていいだろう。

だから、YouTubeで気の向くままに色々なものを見るというのは「莫大な数のわからないこと」を増やし、結論として「わかること」も増やす。テーマやカテゴリを絞ると「莫大な数のわからないこと」を増やすことができない。目的志向はメタ思考と反する。
ネットワーク系を作るためにはどこまでもメタ思考が必要で、広く全体を広げ増やすことが重要だ。東野圭吾だけを読むのではなく、50人の作家の本を読んだ方がいい。少年漫画だけではなく少女漫画も読んだ方がいい。

もし我々が何かの専門分野に通じないといけない仕事をしているなら、この背景の元にある分野を深める。
ある分野「から」深めに入ると終わる。わかる中毒に毒される。わからないことや、わかりようがないことは後回しにされ、「集中」という美的装飾のもと、わかることを増やそうとしてしまう。そしてそれ以外が見えなくなる。

私たちは「わかったこと」の効力をあまりにも甘く見ている
わからないことを避けてわかることを増やすと、それ以外のわかりようのない情報や別の「わかる」ことをたちまち軽視し始める。人間心理がそうできている。
自分こそ最も物事がわかっているのだ、と倒錯し始める。
どれほど優れていようが関係ない。真実の方程式はこうだ。

「わかっている」+「わかり得る」<「わからない」

だから、本当に頭がいい→賢い人や、本当にわかるということを知っている人は、わからないことを増やす作業をしているし、自分がそうしていることを知っている。
わかることで頭の良さを発揮しようとしている人に比較して、わからなくても賢さを発揮できる人の方が広範な物事に対応できるとわかるだろうか。
彼らはわからないものをわからないままにするし、わからないものをわかろうとする術もある。状況によってそのままにしたり調べたり、場合によっては追求して習得したりする。都度取捨選択をし、状況に対して必要なことができる。
わかる一択がいかに役立たないかが「わかった」だろうか。

我々が思っているよりはるかに、私たちはわかろうとする無駄に時間も労力もかけ、精神も削られている。わからないことをストレスだとか劣等感と紐づけるのではなく、ただ自然と増やすことを習慣に組み込んだ方がいい
この効能を実感できると、これまでのわかろう中毒が圧に押されたただの病気だったことがわかるだろう。



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