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【4章】どの専門職も「自分」と「人生」を混同している。多くの場合、その違いすら分かっていない #013

自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】シリーズの4章です。(別の章は記事下一覧からどうぞ)

これまで
「内側」と「外側」の対象の違い
「マクロ」と「ミクロ」の法則の違い
「マイナス」と「プラス」のルールの違い

を見てきた。自己啓発も成功者も、占いもスピリチュアルも、心理学もカウンセラーも、どの分野であれこの違いをまるでわかっていないか、あるいは完璧に混同していた。理論の前提が成り立たないか、筋違いなまま人の個性、人生の筋道がわかると思われている。専門家もそう過信しているし、専門家を頼る人もそうであると信じてしまっている。
それが全て間違いで、しかもあり得ないほどズレていることをなるべく理論で書いてきた。

今回は「自分」と「人生」の混同について説明する。
この混同もまた、自己啓発も成功者も、占いもスピリチュアルも、心理学もカウンセラーも、個性を何一つ明らかにしない根拠のひとつになる。



■それら各専門家は「個性」のことが全く分かっていない


専門分野と専門職の説明で書いたが、専門家とはある専門分野の理屈に通じているのであって、いち個人を明らかにすることには通じていない。
そしてそれら専門分野・・・つまり

自己啓発
成功者
占い
スピリチュアル
心理学
カウンセラー

などは全て、個性を明らかにする専門分野「ではない」
たとえば西洋占星術で「太陽星座は山羊座、月星座は牡羊座の人が持つ特徴とは〜」などと言うとき、それは『占星術の方程式とそこから導くことができる解』の話をしている。ある誰かの個性の話はしていない。
100歩譲って「しかしそれも個性と言えるのではないか?」という言い分に耳を傾けよう。だがそれをしてなお、それは明らかに個性ではない。個性ではなく特性だ。

特性とは、これまで書いてきたように「外側」で展開されている理屈であり、「マクロ」からミクロがわかると錯誤した情報のことだ。
個性とはオリジナルだ。つまり限りなく唯一無二に近いものであり、カテゴライズ(特性)によって分けたものではない。カテゴリ分けは常に特性であり、個性になることはない。

ところがどの分野においても、特性がある個人の性質を説明する正しい答えだ、などと思われている。
そんなことがもし言えるなら、
【ある誰かと共に過ごし、苦楽を分かち合い、同じ目標を目指して切磋琢磨し、相手のことを知ろうとし、得意分野を分担して物事を成し遂げようとし、飯を一緒に食い、いろいろな話をして、感動しあったり喧嘩をしたり、片方が挫けたときはもう片方が助け、相手の価値観を知ろうとし、ふとしたことに気がつきあい、指摘したり受け入れたりを繰り返してひとりの人間を知ってきた】ことよりも、ド偉い理論様が導き出す太陽星座や月星座の特徴の方がよっぽど正しく的を得ている、ということになる。

そんなことは、まさに『あり得ない』。


■個性には「自分の個性」と「人生の個性」がある。両者は一致しない


上に書いたどの分野においても、あるいは分野関係なくどの国のどの人にとっても「自分の扱い」が「人生になる」と思われている。もとし信じ込まれている。だが、そうはならない。むしろ部分的にかすってすらいない。両者は全くの別物だ。

『自分の個性』には人格的なものと強み的なものがある。「ある(あり方)」と「する(やり方)」に分けることができる。
人格的なものはたとえば「気が利く」とか「優しい」などがあり、強み的なものはたとえば「台本のセリフを一度見ただけで覚えられる」とか「身体のバランス感覚がいい」などがある。
人格は人間関係全般に関係し、強みは行動全般に関係する。
これは言うならiPhoneのアプリのようなもので、今手元にあるiPhoneのアプリが、そのiPhoneの個性の集大成だといえる。つまり『自分の個性』とは特徴的な自分自身、を表す性質のことだ。

『人生の個性』とは生まれてから死ぬまでの間の期間がどのような特徴的なものであったか?を問うもので、その特徴的な性質は自分だけが経験する。この自分だけが経験する期間の個性的な特徴のことを『人生の個性』という

ドライブで例えよう。
家族旅行で車を運転するのはあなただ。ドライブという物事に対して「人格的な個性」・・・たとえば同乗者が気持ち悪くならないように気を配るとか、そのためブレーキを滑らかに踏むよう心がけようなどとする自分がいる。
一方「強み的な個性」は、長距離運転をしても疲れないとか、スピードを上げても安全運転をしてしまうだとか、そういう特徴がある。
つまりどちらも運転者としてのあなたのスペックだ。これが『自分の個性』になる。

『人生の個性』は期間のことを指すので、ここではドライブが始まってから家に帰るまでの期間で例えよう。
朝早く家を出て山にピクニックに向かうとする。「車を走らせる」ということには自分の個性(運転)が使われる。しかし「ドライブ」は信号で止まったり、意外にスムーズに進めたり、途中でガソリンに不安を覚えて給油したり、そんなことをしている間に渋滞に巻き込まれたりする。渋滞に巻き込まれたため時間が遅れているが、子供たちが「お腹すいた」と言うかもしれない。なら、予定を変えてランチを取ろうとする。入った店がたまたま素晴らしく美味しいかもしれないし、予定を変えたためランチ難民になるかもしれない。悪くすると車が故障したり、事故に遭う可能性もゼロではない。眠い目をこすりながらの運転でヒヤッとすることがあるかもしれない。道に迷って無駄な時間を過ごすかもしれないし、たまたま夕日の綺麗なパーキングに車を停められてラッキーかもしれない。
こうした【期間の流れと出来事】は自分の個性でコントロールできない。運や偶然の要素にも左右され、最初そうであろうとした理想的なドライブと同じになることもない。ランチが美味しいかランチ難民になるかを、自分の個性で左右することもできない。

自分には自分のスペックを上手に使う方法があり、それとは別に、期間には期間を上手に過ごす方法がある。


■期間を上手に過ごす方法とは?


まだピンと来ないかもしれない。次は期間を夏休みで考えてみよう。

自分の個性は夏休みの間にかき氷を何度も食べたり、海に5回は行かないと満足できない!というものを反映しようとする。別の誰かはかき氷は好きではないし、海は行きたくない。代わりに、毎日クーラーの効いた部屋で漫画でも読みながらスイカを食べたいと思う。「自分の個性」がそう思わせる。

自己啓発やスピリチュアルでは自分がやりたいことをやればいいだとか、それがいい人生に結びつくという嘘がよく見られる。
もしかき氷を食べたいだけ食べ、海に5回行くとしよう。あるいは毎日クーラーの効いた部屋で存分に漫画を読みスイカを食べるとしよう。それは「何度も欲求を満たした」ということだ。気分はいいだろうし、やりたいことはできている。
だが夏休みの間には、従兄弟がサプライズで花火を見に連れて行ってくれ、友達にお祭りに誘われてすごく楽しいことがあったりする。親の実家に帰省した非日常が意外と良かった。そういえば宿題をしていないと追われたり、海でくらげに刺されて死ぬほど痛い思いをしたり、考えてみれば嫌なことも結構あった。それらの全てが夏休みだ。思い通りのかき氷やスイカだけが夏休みではない。そして夏休みの良さは、かき氷やすいかや、花火や祭りや、宿題やくらげの全てであり【その全てを良い】とできれば、それは良い夏休みだったのだ。かき氷をスイカが思い通りになったからといって、夏休みが良かったとは決して言えない。
(ただし夏休みの良いところだった、とは言える)

自分と期間の違いがわかってきただろうか?
自分の個性(iPhoneのアプリ)はほぼほぼ決まっっている。まだ自覚できていなくても既に備わっている。それを使いこなせば自分を上手に使ったといえる。だから期間がどれほど悪いものになろうが(良いものになろうが)、自分を上手に使ったかどうか?だけが『自分の個性』に問われる。期間は関係ない。

人生の個性は(期間の良し悪し)流動性があり決まりきっていない。思い通りになることもあればならないことがあり、良いことがあれば悪いことが混在する。悪いことがなければ良い期間だとはいえない。しかも期間が良いものであれば、自分の個性をあまり使わなかったな・・・・という結果になっても『人生の個性』は独自性が高かった、良かったと言える。自分の個性は関係しない。

『自分の個性』と『人生の個性』が全く別のものであることがわかっただろうか?
この本質を理解している専門家はいない。それは個人としての専門家の未熟さもあるが、同時にここに上げた専門分野がそもそもこれをテーマにしていない。『自分の個性』『人生の個性』にフォーカスした分野ではなく全く別の分野の体系だ。


■個性とは何か?個性を明らかにする分野など世の中に存在しない


占いならたとえば四柱推命はどちらかというと「人生の期間」について、タロットはどちらかというと「個人の運び(個性関係)」について明らかにするじゃないか?という疑問もあるかもしれない。
だが、それは1章から3章で説明したことを読み返してもらえれば、そうではないとわかる。

ヒト遺伝子で他人と違う配列はたったの0.2%だという説がある。他の遺伝子はほぼ全く同じで、たった0.2%だけがオリジナルなのだ。これが人と自分を分け隔てるプログラムのベースになる。
直感的に自分と人が0.2%しか違わないというと違和感を感じるが、人とバナナは60%が同じ配列の遺伝子なので、違和感はひとまず置こう。

個性の重要さは、極論すると「自分がオリジナルであるかどうか」だけが問われる。もし人と同じであることに意味や価値があったり、それこそが正しいとか良いとするなら、人は個性なく生まれ、一様に同じ動きをし、ロボットのように役割を果たせばそれでいいということになってしまう。
あなたがあなたを問題にしたり、自分とは何者かをふと考えることがあったり、何の個性もないつまらない人間であることに苦悶するのは、つまり人は誰しも根源的にオリジナルを求めていることのひとつの証拠になる。

個性とは違いだ。オリジナルも同じ。
特性とはたとえば12分割された「みんなと同じ」ことだ。自分の特徴ではない。みんなの特徴だ。
自分(人生)特有の性質(ある)を明らかにし、その特殊なものの上手な運用を行い(する)、外の世界で試行錯誤して通るようにトライアンドエラーを繰り返し、最終的には満足のいく形として自分らしく振る舞うことができる。あるいは自分らしい人生にすることができる。
何を持ち、どうするか。どうなると良いのか、他にはないオリジナルを扱うのに、どうして「外の世界」の「マクロ」の「マイナス解消目的」の専門分野に答えがある?
78億分の1の物事を見つけ、その運用をゼロから試行錯誤し、他の誰もそんなことをしてくれないので自分で自分が満足できる形にする方法が、どこの教科書に書かれている?そんなものが存在するわけがない。

自己啓発
成功者
占い
スピリチュアル
心理学
カウンセラー

に78億分の1の『自分の個性』『人生の個性』が明らかにできるわけがない。ここでプロローグで書いたセリフを改めて言おう。
「少し考えれば誰でもわかる」ことだ。各章何千文字も書いたが、2行にまとめるとこうなる。
【78億分の1の個性を自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで出すことはできますか?→いいえ、できるわけがありません】


次の5章では「個性の生かし方」にフォーカスして解説する。

【コラムシリーズの目次】

自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】コラムシリーズ

■プロローグ
1章「外側と内側では法則がまるで違う。結論も根拠も全て異なる」 
2章「マクロとミクロは法則がまるで違う」
3章「「マイナスの向上」と「プラスの向上」はルールがまるで違う」
4章「どの専門職も「自分」と「人生」を混同している。多くの場合、その違いすら分かっていない」 ※この投稿
5章「個性を明らかにするには、「個性を探る」しかない(スーパー当たり前なこと)」 
【エピローグ】個性を明らかにするvs専門家の本質


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