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誰かの幸せなんて願えないとき

随分noteをご無沙汰していたが、岡山に緊急事態宣言がでて、大学はオンライン授業になり、私の居場所であった図書館は休館。誰とも話さない毎日が続く。毎日舐めるように見ていたスーパーのチラシは、混雑を避けるために中止。ああ、なんてこったという今日。

私は(人並みに)いろんなコンプレックスを持っており、一人でいるとネガティブ思考に全力で突っ込んでいくタイプだ。だから、このような静かすぎる日常は、毎日が灰色で、なんとなく毎日が過ぎていく。そんな中、アルバイト先の飲食店の休業によるアルバイトドタキャン、大学の定期テストが近づき気の焦り。

一方で、SNSを見ると、友達の結婚、出産、思い出の写真、記念日の写真など幸せ溢れる写真がたんまり流れている。ついつい他人と比べてしまって、羨ましい、と思ってしまう自分がいる。

正直、お前の幸せなんてどうでもいいわ!

いつもなら喜ぶことができる余裕もなくなってしまったようだ。もし相手が目の前にいたら、とんだとばっちり。そんなことが、最近、結構あるなと気付いた。

別に、他人の幸せを喜ばなければならない、というルールはない。けど、知り合いの幸せを素直に喜べない自分に罪の意識を感じる。そして、また、罪悪感に覆われた気持ちで一日を過ごす。

あまりに不健康で不幸せだ。

そこで、解決策を考えてみた。

①SNSを見ない
見なくても、死なない。自分の幸せな1日を過ごすために、その指でアプリのボタンを押さないという決断をするのみ。

②見てしまった時は、すぐにアプリを閉じて、自分の好きなことをする。
「いいね」を押さなきゃいけないルールやコメントを書かないといけないルールはない。見なかったフリをして、忘れてしまおう。(後日、喜ぶ予定に。)おすすめはスポーツ。私は元体育会系なのでスポーツをするのが好きだし、汗をかくといろんなことを忘れる。

③見てしまった時は、ウソでもコメントを書いてみる
かなりスパルタな解決策ではあるが、思ってもいない祝福や褒めるコメントを書いてみると、数時間後に相手から返信がきていたりして、気分屋な私は久しぶりのメッセージのやりとりに案外喜んでいる。

他人のことを喜べない時は、それでいい。喜べない自分を認め、自分のことだけしっかり考えよう。元気になったら、また他の人のことを考える心のスペースをちょっと空けてあげる。その方がお互い幸せでしょう?

お気楽にいきましょう。今日も1日お疲れ様でした。

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