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ワタシノ足跡〜第四章 坊さんになっちまっただよ!〜

遺言のように記しておきたいことがある。

激動のインドツアーから日本に帰った。

御礼も兼ねて住職にご挨拶に向かった。

“さあ、いよいよ仕事の独立の準備をしなきゃな‼︎”

心の中ではそう呟いていた。

駐車場に着き車から降りた途端に
御寺の職員さんに住職からの伝言を聞いた。

「駐車場に砂利を引きたいから
 “ユンボ(パワーショベル)に乗って
 整地しといてくれ。

 明日は10トン車のダンプで
 何台か砂利が運ばれてくるから
 それを駐車場に敷き詰めてくれ!」

“ あ、そうなんだ!住職はどっか出掛けていて、
 そのうちに帰ってくんだね。
 ま、いっか!久しぶりのユンボだな。やっとくか。”

小さな古民家だった御寺は3キロくらい離れた山を
開墾して大きな御寺を作ろうとしていた。

新しい御寺の駐車場は
野球場2つ分くらいの結構な広さだった。

ユンボに乗りながら整地を始めた

ユンボの操作の初級のような免許は持っていた。

以前3ヶ月ほど建設会社でバイトした際、親方さんが

” ユンボくらいは乗れた方が今後いいぞ‼︎ ”  と練習と
免許をとらせてくれた。

久しぶりのユンボ操作、
しかもダダ広い場所で楽しかった。

“ しかし、なんで
 俺がユンボ乗れるの住職は知ってんのだろうか⁈  ”

もちろん、そんな事は
住職にも御寺の職員さんにも話してない。

やがて、御寺の職員さんが
お茶を持って来てくれた際に

「 住職は自分が
  ユンボに乗れるって知ってたんですか? 」

【 知ってたか、どうかはわかんないですけど。
  伝言するように言われました。
  まぁああいう方ですから、、。】

半分だけ納得して気に留めず整地を進めた。

夕方、住職が帰ってきて車の窓を開け

【お疲れさん、来てたか。
 明日、砂利が来るから整地よろしくな‼︎
 お前しかユンボ操作出来ないからたのんだぞ 】

一言だけ言って
住職の運転するクラウンは去って行った。

妙な責任感がその一言で湧き上がってきた
“  俺しかユンボ乗れないなら仕方ないな!
 やっちまうか!”

仕事の独立準備でスケジュールは、ほぼ空いていた。

約1週間くらいかけて駐車場の整地を終えた。

また職員さんから伝言
【 あの場所とあの場所を整地してくれと
  住職が言われてます。 】

だんだん、頼まれごとの多さに嫌になる
収入が無いからお金は減っていく一方である

ふてくされてた

家で昼前まで寝てると夢に住職が出てきて

“ 何やってんだ!
 はやく言われた仕事しろ‼︎  “と叱られ

時には
所用があるフリしているとバッタリ住職と遭って
【明日頼むな‼︎】
まるで昭和の体育会系部活の先輩と新人の後輩の関係

そこに答えは【YES】しか無いのだ!

1ヶ月ほど様々な命令に従った

駐車場の近くにある
大きなタブの樹の下に住職に呼ばれた。

【どうだ最近、やり甲斐があるだろう‼︎】

「そうですね‼︎」

私は引きつった薄い笑顔で応えた。

「 今度、仕事の話 相談受けようか! 」
と住職に言われ

“ やっと。仕事の話だ!
 やっと独立出来るぞ‼︎ ”と安堵した。

それから3日後くらいに御堂に呼ばれた。

大きな弘法大師空海
大日如来
不動明王の仏像が鎮座する
畳30畳くらいにポツンとふたり向き合い
真剣な趣きの住職から質問を受けた。

【どうだ、自分の仕事がわかったんじゃないか? 】

重く太い低い声が静かな御堂に響いた。

「 仏様や神様の手伝いを
  していくことだと想います。 」

思わぬ言葉が自分の口から飛び出た。

突然、このようなこと

それまで、その会話の瞬間まで
そうような事を考えたことは無いのに

そんな自分の発言に自分自身が驚いた

【 此処は何処か わかるか。 
  御仏も聞いてたぞ
‼︎ 
  よく気付いたな
‼︎

  お前は今まで
  バスケットのチャリティーイベントや
  仕事でたくさんの人を救ってきただろうが

  これからは生きてる人も
  亡くなった魂も
  すべて救って生きなさい。

  それを待ち望んでいるひとが
  どれだけいると思ってんだ

  よし、まずは、得度だな
‼︎      】

私の魂に打ち付けるように言い放ち
背を向け住職は去っていった。

“ あれ、俺、何、言ってんだ⁈ 
 なんてことを口に出したんだ!
 と、く、ど⁈ 何だそれ⁈ ”

自宅に帰り無性に
【得度】というワードが気になりNETで調べた。

【得度とは】
僧侶になるための最初の儀式を「得度式(とくどしき)」といいます。
「度」というのは「渡る」ということを意味しています。つまり得度とは「渡るを得る」ということになります。仏の教えに出会って彼岸(悟りの世界)に渡る機会を得られた
という意味になります。そこで、悟りを求めて仏道の修行に入ることを「得度」といい、その儀式を「得度式」といいます。

軽く考えていた“ 得度 ”

“ えええええ‼︎  俺、坊さんになるん? ” 

翌日。
御寺の職員さんに相談しました
コッソリ住職に内緒で大きなタブの樹の下で

【 得度したら、どうなるんですか? 】
【 仕事はどうなるんですか?    】

「 仕事は御寺で働く方もいますし、
  そのまま今の職業を続ける方もいます。 
  本人次第です。 

  住職がお坊さんとしての名前、
  僧名を名付けてくれます。
  戸籍を僧名に変える方も多いですね!
  僧侶の場合は証明する書類があれば
  簡単に変えられます。 」

【 そうなんですね。どうしようかなぁ。 】

ぼんやりと、自分が応えると

「 来週、得度式が決まってますよ! 」

御寺の職員さんは押し付けるように言って
強制終了で私のボヤキ的な相談は終わった。

そして、得度式

空衣(うつお)という黒い法衣と
※如法衣(にょほうえ)いわゆる黄色い袈裟を
着せられ式に向かった。

《※空衣に如法衣を合わせる衣体は、
  得度、受戒、加行(けぎょう)など戒を授かるときや伝授の際などに
  着用されます。

得度式もクライマックス

最後に僧名を授かる。

“ 平成改め、新しい元号は令和です!”のシーンを
イメージしていただきたい。

【 俗名 “ 裕人 ”(ひろと)
 (生まれた時に両親が付けた名前)改め 
  僧名 “ 雄真 “ (ゆうしん)】と告げられた。

住職の僧名は雄海

住職から一字頂いて雄真なんだ‼︎と単純に思った。

実家の仏壇の前で先祖さん達に報告も含めて
手を合わせた。

その瞬間、
“??? ゆうしん ???どっかで聞いたなあ、、、、。

あーッ‼︎インドで夢で言われた。

これからは ゆうしん として生きなさい。”

正直、何だこりゃ!!!!!!!!!!
どうなってんだ!!!!!!

そんな感情が隆起した。

2日後くらいに住職に呼ばれ書類を渡され

【これを持って裁判所に行って
 名前を変えて来い!裕人の時代は終わりだな。】

“ 裕人の時代は終わり…。“

私は生まれた時の名前の苗字が
家系の事情で父型の姓から母型の姓に
小学校1年の時に変わっている。

小学校の時に黒板の前に立たされ
先生がみんなに説明されたのを記憶している

黒板に苗字の違う名前をふたつ並んで描かれ

「 〇〇裕人くんは、今日から
  □□裕人くんに名前が変わります。
  みんなよろしくね! 」

まるで転校生の紹介のような記憶がある。

住職の言葉を借りるなら

【〇〇裕人の時代は終わり、
 □□裕人の時代も終わり
 □□雄真の時代が始まる。】

なんだそりゃ、もうすでに原型が無い。

〇〇裕人→□□雄真

そんな戦国武将じゃあるまいし‼︎
「ハマチ」が「ブリ」に変わる
出世魚じゃあるまいし!

なんて想っている間に、
あまりにもあっけなく裁判所で数分で受理された

“  雄真の時代が始まった。”





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