現場で働いて感じた「大学と企業の乖離」
普段、田舎の工場で四苦八苦しながら働いており、日々社会がどうなっているのか学んでいます。
その中で大きく感じたのが、大学と工場現場の視点が乖離しすぎているという点です。そりゃそうだろ、と思うかもしれませんが、その極端な乖離を埋める努力をしないと世の中変わらないだろうなと思うわけです。
というわけで、今回は工場現場の視点と大学(アカデミア)の視点を比較してみたいと思います。
工場現場の視点
まず初めに前提として、ここでの現場というのはとある製造業の工場です。他にもいろいろな現場というのもがあると思いますが、製造業というのは腐っても科学技術を集結した場所の1つといってもいいはずです。
十数年変わらず作り続ける現場
そんな現場を間近で見ていると、そこにあるのは過去の栄光と古い科学技術だということに気づかされます。現場に蔓延っているのは、そのような古い環境が簡単に変わらないように働く謎の文化と慣習です。
このように書くとずいぶんディスっているようにもなりますが、その一方で変えられない現実があるというのも事実です。10年使ってきた製造ラインを変えようものなら、それは不可能に思えますし、一部変更するにも年単位の準備が必要になります。
少々、現場視点という内容からずれてしまいましたが、そのような過去の影響を今でも受け続けている環境であるということは理解してほしいです。
そして現場の視点という見方をすると、製造業の現場で働いている人たちにとって最優先事項は昨日と変わらないことなんです。昨日と同じように同じ製品を作れないといけないのだから、当然変わってはいけません。
それは責めることはできませんし、生産現場の方々の方が正しいと思います。そんな簡単に変わってしまう現場では恐ろしくて製品を製造できませんからね。
しかし、このようなマインドが昨日の昨日の…となると十数年変わらないという事態に陥ってしまいます。今でも一応最先端とされる製品がガラケーを使っていた時期に導入された製造装置で作られている現実があるんです。
重要なことは作りやすさとコスト
加えて現場視点で重要なことがいくつかあります。それは簡単に作れることと価格です。
言われてみれば当然ですが、製造現場で働く人たちは製品を簡単に作れることを望みます。製品にすごい機能がついていることは現場にとっては興味がないんですね。
より良い製品になって喜ぶのは顧客であって、それを作っている人たちにとってはどうでもいいんです。(どうでもいいというと語弊はありますか、技術のすごさと作りやすさを選ぶとしたら作らすさの方が大事でしょう)要は作っている人が使っているわけでなければ、製品の性能は関係ないんですね。重要なことは簡単に作れるか否かになります。
もう1つのポイントある価格ですが、こちらも同様に資材調達する人たちからすると超重要です。言ってしまえば、コストの変化は会社を大きく傾ける可能性もありますからね。
どんなに良い製品でも利益を出せなくては意味がありません。そして価格競争が行われる現代社会では安く作ることが大事という発想になってしまうんです。
これらは至極真っ当ですが、一つ残念なことは彼ら現場の人たちにとって、製品をよくするための現代科学の進歩なんてこれっぽっちも必要ではないんですよね。
大学(アカデミア)の視点
それに対して大学をはじめとするアカデミアはどうでしょうか?
大学で重要とされるのはとにもかくにも新規性です。
大学では、新しいものを作れるか、新しい原理を発見できるかしか見られません。確かに世の中を変えるほど簡単なモノづくりを可能にする技術は重宝されますが、そんなものはごくわずかでしょう。
重要なのは学術的な面白さがあるかですよね。ちょっと簡単にものが作れたぐらいでは、「それで?新規性は?」と聞かれてしまいます。
大学の先生たちは常に新規性を追い求め、現場の人たちが必要としていない科学技術を生み出します。個人的には新規性や科学の発展は人類として必要だと思っていますが、社会で必要とされていない現状に問題意識を持ってしまうんですよね。
また大学のみならず、一般にホワイトカラーと呼ばれる人たちは現場での実情を知らずに、机上の理論を並べ立てています。時には理論も重要ですが、それだけでは何も解決してないのも事実なんですよね。
きっと、その辺の認識の違いが現場からホワイトカラーが嫌われる原因なのではとも思います。
工場現場と大学の乖離
現場と大学では社会での役割が違うと言われればそれまでですが、それぞれの立場にいる人たちがそれぞれを理解していないのが問題だと思います。
科学技術が世に普及する流れを考えれば、大学などで開発された技術を企業の研究所が実用レベルにまで落とし込み、それを工場で生産することになります。
しかし、現在企業研究のレベルが落ちており、お金を出資し研究を大学に依頼するという形をとる会社が増えてきています。
一方、大学は新規技術を生み出すことが仕事なので、現場に落とし込めるほどのレベルまでは研究を行いません。青色LEDが発明されたころのような気概も体力も現在はほとんどありません。(一部の大学発ベンチャーなどを除けば)
国が大学にお金を出し渋る現在であればそうなるのも仕方ないでしょう。しかし、大学は論文レベルの基礎技術までしか手を出さないという現状は、残念ながら現場からしてみれば机上の空論でしかなく、使い物にならないんです。
このように書くと、大学や企業の研究所が弱くなったことが原因のようにも思えますが、だからといってその現状が簡単に打開できるとは思いません。
重要な橋渡しになるポジションがなくなった状態で、現場と大学がそれぞれの視点でものごとを考えていてはいつまでだっても日本の製造業が良くなることはないでしょうね。
逆に言えば、この2つの大きく乖離した人たちをつなぎ合わせるというのも1つの仕事になるような気がします。
少し異なる領域ですが、サイエンスコミュニケーターなども広くは一般人と大学のような先端科学をつなげる重要なポジションでしょうね。
最後に
今回は書きませんでしたが(というより経験していないので書きようがないんですが)、おそらく他にも重要な視点があると思います。それは政治と経済、加えて経営の視点です。
現場にオペレーションを出す経営陣は幅広く物事を見ていると思いますが、やはり大学とも工場の現場とも立場の異なる存在です。
また世の中の大きなお金の動きは政治が握っているといっても過言ではありません。
これらの視点をそれぞれ考えながら世の中生きていこうと思うと、学ぶことが多すぎて大変ですが、少しでも多くの視点から物事を観察できるようになりたいですね。
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