見出し画像

ガチ恋を哲学する

このエッセイでは、「恋」とは何か、アイドルとファンの関係や、ガチ恋のメリットなどについて、いろいろお話しています。

(読了時間:約4分)

ガチ恋から分かる「恋」の定義

「恋」つまり恋愛感情には、「好き」の気持ちと「独占欲」が含まれています。

なぜなら、ガチ恋勢には「同担拒否」という人が多くいるからです。同担拒否とは、同じアイドルの担当、つまり同じアイドルが好きな人とは仲良くなれないということです。場合によっては、仲間であるはずの「同担」を妬んだり嫉妬したりします。

共有ではなく、独占や占有しようとするという部分が恋愛の定義においても重要です。現代日本では、恋愛は一対一で行うものという常識があります。おそらく恋愛そのものが、一夫一妻の家族関係を作ることを指向しているからでしょう。

悲しきパラソーシャル関係

しかし、アイドルとそのファンの関係は、一般的な恋愛関係とはことなります。それどころか、一般的な人間関係とも異なります。これを示す言葉が、「パラソーシャル関係」です

パラソーシャル関係とは、一方は相手をよく知っていて、もう一方は相手をよく知らない関係のことです。

一般的な人間関係は、face to face な関係です。自分と相手が会って相互にやり取りします。そのため、一方的に相手をよく知っていたり知られていたりすることはほとんどありません。

同時に、親密さの程度も一般的な関係ならば、ほぼ対称(=同じくらい)なものになります。なぜなら、もしも一方が強すぎる感情を持てばもう一方は引いてしまい、関係自体が不成立になるからです。

それに対して、パラソーシャル関係においては、どちらか片方が強い感情を持っているということは十二分にありえます。相手への認知や感情が非対称でも、(度が過ぎた行動さえなければ)関係が破たんするということはありません。

ただ、パラソーシャル関係は一般的な関係ではないが故に、その一種である恋愛関係になることは望み薄なのです。

悲しいね。

幻想で結構。アイドルは鏡だから

ファンがアイドルに親しみを覚えても、アイドルにとってはその人個人を認識しているかすら怪しい。 アイドルがファンに対してどれだけ微笑みかけ、優しい言葉を語りかけたとしても、そこには一体多の関係性が根底に流れています。アイドルは「親密さの幻想」をファンにプレゼントしているのです。

しかし、それでいいのです。逆に。

なぜなら、アイドルが実際には縁遠い存在だからこそ、自分の中にある強い感情を安全に扱いやすい程度まで育てることができるからです。

アイドルは、心理学における「自己対象」の1つです。自己対象とは、自分ではないが自分の一部と思える対象のことです。たとえるならば、自分のポジティブなところや理想、らしさを映す「鏡」。これは、自己を育てるために必要で重要な存在です。

自己対象のよくあるお相手は、自分の身近にいる人です。たとえば、親や友人などが当てはまります。けれど、実際の対人関係では、自分の望まない形の関わり合いをする危険があります。たとえば、憧れの人の認めがたい一面を見てしまったとか。

すると、感情を育む道の途中で大きく傷つき、そこで成長が止まってしまうのです。自己を育てるためには「最適な失敗」、つまりちょっとずつ失望していく必要があります。もしも、一気に失望すると、単に傷つくだけでなく、その人との関係性に歪みが生じ、更なる被害に見舞われる可能性も出てきます。

しかし、アイドルとの関係は主観的には大変でも、客観的には簡単に切り離せるものです。推しを辞めてグッズを買わなくなっても、アイドルは多数を相手取っているため大きな痛手にはならないのです。

ガチ恋とシミュラークル

私は、アイドルとファンの関係においてもっとも重要なのは、ファンの持つ「まなざし」にあると考えています。

心の中に描いたアイドルは、現実にいるアイドルの一部を切り取って、さらに自分の欲望を混ぜ合わせた、自身の鏡に過ぎません。それは、どうしようもなく偽物です。

けれど、当人にとってはその心の中のアイドルこそが、リアリティや現実味を持った本物なのです。本物の生身のアイドル以上に、偽物の鏡のアイドルの方がむしろ本物という、逆転現象が起きるのです。

このような、「偽物の本物化」をシミュラークル(模造)と呼びます。そう、アイドルのリアリティを形作るのは、ファンのまなざしなのです。

おわりに

私はアイドルに夢中になったことはありません。ただ、バンプオブチキンがとーっても大好きなのです。

だからこそ、今一度この「好き」の感情が「恋」なのかを吟味してみたくていろいろ考えました。

結論をいうと、私はバンプのガチ勢ではあるけれど、ガチ恋勢ではありませんでした。なぜなら、バンプの楽曲がたくさんの人に聞かれると嬉しいし、いろいろな人が考察をしてくれたら幸せになるし、夢中になってくれる人を見つけると舞い上がる……つまり、共有欲が強いからです。独占欲がないならば、それは恋ではないのです。

その思考の産物がこのエッセイです。お楽しみいただけたら、スキを押してくだされば幸いです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?