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Art|印象派が描いた行楽地に、移動が外食の本質であることを見る

ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか? 緊急事態宣言下でありますが、テレビのニュースでは東京へ向かう高速道路の渋滞状況を報道しています。

みなさん、郊外の行楽地で余暇を過ごして、都会にもどってくるわけですが、こうした「レジャー」は、産業革命によって、農村の人々が働き口のある街に住むことになったことで生まれたもので、近代的な都市の誕生と関係しています。

都市の誕生、蒸気機関車の登場がレジャーを生んだ

農村の人々が、都市部にできた工場に働きにでたことで、近代的な都市が生まれたのが18世紀から19世紀、ロンドンやパリといったヨーロッパの都市がそれにあたります。

     1700年   1750年   1800年   1850年
ロンドン 550,000  676,000  861,000  2,320,000
パリ   530,000  556,000  547,000  1,314,000
東京   688,000  694,000  685,000     780,000 (人)
ターシャス・チャンドラー (Tertius Chandler)著
『Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census』より

イギリス産業革命は1760年代に始まったとされていますので、1750年と、その100年後の1850年の推定人口を比べてみると、この都市化の状況が見てとれます。ロンドンは、およそ4倍弱、パリは2倍強と大きく増加しています。

江戸は、1700年頃はロンドン、パリをしのぐ大都市でしたが、近代都市化は明治時代になってからになりますので、江戸末期にあたる1850年代は人口増加は大きくは起こっていないことがわかります。

この増え続ける都市のなかで、工場や勤め先が休みになれば、当時最新の乗り物だった蒸気機関車にのって、郊外に遊びに行き、水遊びやレジャー先にあるレストランなどで食事を楽しむというのが、都市に住む若者たちの”イケてる”休日の過ごし方でったのです。

ちなみに蒸気機関車鉄道の歴史をみてみると、1821年にイギリスで1型蒸気機関車による初めての旅客輸送が実現しています。1830年には、全ての列車が時刻表に基づいて運行されたリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業、ほとんどの区間で蒸気機関車が牽引する都市間旅客輸送鉄道が誕生します。

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ウィリアム・ターナー《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道
1844年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー像

パリは、イギリスやアメリカ、ドイツといった国に比べると鉄道の実装は遅れており、1832年にサン=テティエンヌからリヨンの58キロで、旅客営業を行ったのが初めてでした。その後、1837年にパリからサン=ジェルマン=アン=レー間の路線が開通し、パリ周辺における最初の鉄道として利用されるようになります。

パリ市民に人気の行楽先の一つだったのが、パリの西およそ10㎞ほどにあるセーヌ河畔の町、シャトゥーです。「ラ・グルヌイエール」や「ラ・メゾン・フルネーズ」といったレストランは、モネやルノワールといった画家たちの絵にも登場します。

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クロード・モネ《ラ・グルヌイエール
1869年 メトロポリタン美術館蔵

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ピエール=オーギュスト・ルノワール《舟遊びをする人たちの昼食
1880~81年 フィリップス・コレクション蔵

近代化したパリから自然を求めて都市から汽車に乗って移動する。その先にあるのは外食施設としてのカフェやレストランが地方に生まれるわけです。

印象派は、それまで歴史や神話といった過去を描くことが崇高とされていたそれまでの絵画に対して、同時代の生活を描く「現代性(モデルニテ)」をもってそれに対抗しようとしました。

つまり、郊外のカフェやレストランというものが、歴史や神話の作られた世界ではない、現実の世界だったのです。

自家用車の存在が「ミシュランガイド」を生んだ

ミシュランガイド」(le Guide Michelin)は、おそらく日本で一番有名な(もちろん世界でも)レストランガイドです。

あまりにも有名な3段階の星の評価基準は1931年に始りました。「そのために旅行する価値のある卓越した料理」(三つ星)、「遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理」(二つ星)、「そのカテゴリーで特においしい料理」(一つ星)になっているのは、車旅行が憧れだったころの名残です。

フランスのタイヤメーカーの「ミシュラン」が始めたこのサービスは、タイヤ消費拡大のために国内の車旅行を推奨されたこともあって、1900年、パリ万博の年にレストランガイドブックを刊行したのが始まりです。

ここでも現在もっとも権威のあるレストランガイドの成り立ちに新しい移動手段の車が生まれ、さらに新しいレジャーのニーズ(外食のニーズも含む)の掘り起こしが生まれていることは興味深いことです。

つまり、移動の可能性が一般的に広がれば広がるほど外食の新しいニーズが生まれてきていることがわかります。ミシュラン以降も、LCCなど空の道が民主化されたことで、海外を飛び回るFoodieが誕生し、世界各国のレストランの国境がなくなり、世界料理といえるような大きな潮流も生まれています。

外食は「人々の移動」が前提条件にある

こうした歴史を見ていると、レストラン、つまり「外食」は移動が前提で生まれてきたサービスであることがよくわかると思います。

しかし、新型コロナウイルスのパンデミックによって移動が制限された今、移動が前提の外食に影響が出るのは、残念ながら当然のこととしか言いようがありません。

とうぜん、移動が解除されてくれば外食も復活してくると思います。もう当たり前すぎる話なのですが、一方でそれがいつなのかを見極めるのが難しいところでもあり、なかなか厳しい状況になっていようです。

いまの海外の状況をみるとワクチン接種が進めば進むほど移動の制限が解かれていっているようなので、日本の外食産業側だったらば、ワクチン接種を積極的に呼びかけて、それを可能にする取り組みに対して応援するのが、巡りめぐって外食の復活を早めるのかなと思っています。

しかし、ワクチン接種が一向に進まずに、次の変異株が既存のワクチンでは対応できないみたいなことも起こりうる状況であるとも思います。たとえば、ワクチン接種のスピードを変異株が新しく生まれるスピードが追い越すようなことになれば、集団免疫が獲得できず、移動の制限も2年や3年と続いていってしまうこともありえます。そうすると、移動が前提の外食は、やっぱり苦しい状態が残念ながら続くのではないでしょうか。

そう考えると、今できるとと言えば、もう1年前と変わらないのですが、内食へのシフトというのが、外食(レストランを含む)に今求められることなのではないでしょうか。もちろん、簡単に外食から内食に業態変換は難しいところですが、一方で1年経って変わらない現状をみると、急ではなくても少しずつシフトチェンジしていくのがいいのではないかなと思います。

1年後に、移動が制限され続けていることも十分ありえる。そんなかで外食を続けていくのか、というのが今される判断だと思うのです。シビアな話をすれば、移動の制限が続けば続くほど、移動が前提の外食のニーズがなくなっていくわけですから、お店の数が現実的に少なくなっていくのは当然のこと。

悲しい現実ではありますが、その部分を冷静に、ドライに考えていくことも大事なことなのかもしれません。

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明日は「Food」。シェフレピを実際に作ってみた話。

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