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note|世界目線で考える さんの《キロメートル・ゼロってなに?》を読んだ

キロメートル・ゼロ」という言葉を聞いたのは、2015年に料理王国のパスタ特集で、イタリア・アマルフィの二つ星「ドン・アルフォンソ1890」を取材した原稿の中で見たんだと思います(ちなみに、そのときはイタリア語の発音で「キロメトロ・ゼロ」としていました)。

当時記事によると、このように書かれています。

「今は南イタリアの代表とされるモッツァレラやトマトも、イタリアの原産ではありません。文化と一緒に食材も旅し、年月とともにその土地に根付き、やがて伝統的食材と呼ばれるようになるんです」
 最近話題の「キロメトロ・ゼロ」については、「むやみにキロメトロ・ゼロやノー・グローバルを強調する運動には、こうした食の歴史に対する敬意が書けているように思う」とエネルスト(注:「 ドン・アルフォンソ1890」 のシェフ、エネルスト・イアッカリーノさん)は語った。

5年でその意味が更新されていた

当時の記事でも、キロメートルロ・ゼロの取り組みは、どちらかというと日本の地産地消の局所的なものとして紹介されています。さらにそのことに対してエネルストさんは、軽率な考えと批判しているわけです。

イタリアはではこの記事が出た2015年に「地球に食料を、生命にエネルギーを(Feeding The Planet, Energy For Life)」をテーマにしたミラノ万博を開催していました。

世界のベストレストラン50」の上位にランクされていた三ツ星「オステリア・フランチェスカーナ」のマッシモ・ボットゥーラ氏が、万博内で廃棄食材を使った料理を出す食堂を開いたり、サステナブルな食に注目が集まっていました。

もともとイタリアにはスローフードの文化が早くから根付いた、地産地消の文化(マンマの味、母の味)があったなかで、よりグローバルなメッセージとしてこの頃に使われ始めたのではないかと思う。

確かに、エネルストがいうように地産地消をしてれば、ローカルな食文化が守れるかといえば、それは一方で効果はありながらも、一方ではそれだけでは守り切れない側面がある、というのはわかります。

そんななか、外務省勤務時代に、100カ国以上もの国を訪れ、仕事をしてきたという高橋政司さんの講演記録を読むとかなり、考え方が更新されているように感じました。

日本の食は150年分くらいしか保存されていない

高橋さんによるとキロメートル・ゼロの醍醐味をこう説明しています。

自分の住んでいる地域で採れた食材にどんな特徴があり、生産者がどんな想いを込め、そしてそれを受けた料理人がどのように地域の風習や文化、歴史を取り入れた方法で調理したのか、そういった背景・物語を知りながら食べることで、自分が住む地域を再発見できるんです。

僕自身、キロメートルロ・ゼロは、これまでの地産地消という消費観点の取り組みだけでは、アフターコロナ/ウィズコロナの世界での人の心は動かせないと思っています。

ローカルな食材を食べることで、その土地の歴史や文化といった物語を理解することは、無形のものに価値を見出そうとするキロメートル・ゼロの取り組みは、新しい生活様式にあっているでしょう。

一方で、土地の歴史や文化といったものは保存・継承されていますが、地域の食文化はまったくと言っていいほど保存・継承されておらず、未開拓の荒れ地そのものです。

だって、肉用の牛や豚、鶏など、およそ150年前の日本にはありませんでした。YUZUとして日本の食材の代表とされているユズだって、大陸から持ち込まれたもの。それこそイタリアの食文化と言われているトマトが、南米から持ち込まれたものであるように、現在多くの日本人が食べているものは、日本固有のものではないからです。

簡単にいえば、歴史や文化が1000年以上歴史があっても、食文化と呼ばれるものは大抵150年くらいで作られたもの。2つのレンジが全く違うのです。

ということで、食のキロメトロ・ゼロの課題としては、食の歴史をどれだけ紐解けるかにかかってくるんじゃないでしょうか。

過去帳や年貢表などの丁寧な解読から、本当にどういうものを食べていたのかを知ること。そのうえで、当時の食事を再現しようということではなく、そういったローカルの食文化を真の意味で正しく理解したうえで、現代に受け継がれている食事を解釈していく。そうすることでヨーロッパが掲げているキロメートルロ・ゼロが、日本のなかで価値をもって取り組まれるようになるのではないかと思います。

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