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今年読んで何かしら刺さった本

今年一番のぶっ刺さり本「万物の黎明」

世界の「働きたくないでござる症候群」の皆様の教祖デビッド・グレーバーの最後の著作。
惜しくも亡くなってしまったデヴィッド・グレーバーといえば「ブルシットジョブ」に代表される反社会的著作でおなじみ。
文化人類学を土台に現代社会への鋭い批判、というか抜本的ジャーマンスープレックスをかます雄姿はウォールストリートでも炸裂させていた。
文化人類学から見た現代社会は、非人間的で異常なのだ。
そして、ホッブズやルソーが生み出した社会契約的近代国家、西洋が生んだ叡智こそが至高という普遍的な人類史を徹底的に批判したのがこの本。
ホッブズたちが野蛮とか北斗の拳とかマッドマックスと呼んでいた原始の時代、そこは多様な生活や政治や権力構造や所有権や宗教が混じり合った高度な文明社会であった。
一概に暴力の時代でもないし、聖書にあるような楽園でもなく、人々は実験的かつ人間本来の性質に合わせて生きていたのだ。
なんせ、人類の歴史は20万年ともいわれているが、今我々が知っている政治形態や歴史的事実などたかだか1万年にも満たない。
人類は大部分の間を平和かつ慎重に生きていた。
よってデヴィッド・グレーバーたちは、現代を閉塞された時代と呼ぶ。
人類が進化してきた結果としての現代ではなく、多様性が排除された生きづらい世の中なのである。
本書では、様々な時代や土地や集団の生活や考え方を600ページに渡って突きつける。そのどれもが、現代人には理解しにくい。
季節替わりの政府だったり、ピラミッドがアパートになったり、王様やめちゃったり、都市作ったくせにやめちゃったり、実験的農業で何千年も遊んでいたり・・・
俯瞰してみると、現代社会が洗練されているとは一概に言えるはずもなく、また現代社会が当たり前のように最善策だと思われている異常さこそが現代社会なのだという視点である。
可能性が閉塞され、社会システムに囚われた人類というイメージは僕も共有している。たしかに物質的には豊かで文明は繁栄している。
しかしそのための代償が大きすぎると感じている人間が如何に増えてきたのか?
そんな2023年だったと勝手に思っているのだが、その象徴たる一冊であった。
ちなみに大谷が投げたらかなりの殺傷能力を持ちそうな鈍器本である。


経営リーダーのための社会システム論

凶刃に倒れそうで倒れなかった宮台真司のビジネスマン向け啓蒙書。
社会学的な時代の変遷による小市民への影響と、それによる社会の変化、いわゆるクズ化についてわかりやすく書かれている。
当方、辺境城塞都市に住んでいるため、まだかすかに宮台真司のいうコミュニティは残っているが、都会はそれはそれはおぞましい状況のようだ。
本質的に人間は、あの戦前や昭和経済成長期のようなガチムチのコミュニティの方が幾分かマシと捉えているようだ。
もっと遡れば、リヴァイアサン的世界の方が今よりも人間らしく生きていけたわけで、現代の過剰な社会システムの個人への介入、ひいては社会システムのために個人が奴隷のように働かされているという本末転倒にみんな築いているからこそ、くだらないポジション争いやマウント取りを繰り広げているのだ。
宮台真司の指摘は批判されがちだが、その突飛に見える冷徹な視点に救われる人間もいると思う。
というより、その視点により現実逃避していることを暴露された「現代で成功しているとみなされている人」のジレンマが怒りに変わっているのではないか、そしてその怒りで商売しているのが宮台真司なのである。

アナキズム本

今年はアナーキーな気分だったので、アナキズム本を読み漁った。
アナーキスト人類学のための断章」や「くらしのアナキズム」なんかも読んでみた。
アナキズム本はしかしつまるところ、世界の反主流のライフハックなり生存戦略の事例検討である。
主流、あたり前田のクラッカーとみなされている「生き方」だけではない生き方もあるんだよという経験の経験である。
故に猿でもわかるビジネス書や意識高い系自己啓発や体系的な何かを求めていると面食らう内容ばかりである。
しかし、結局のところアナキズム=無政府主義者とは、ただパンクな逆張り野郎でもなければ、テロリズムに浸るローンウルフではない。
何も考えずに社会という拘束具を身に纏い平然と生きている現代人への違和感、これに尽きる。
彼らは山奥で原始生活をするわけでもなく、自分たちの掟や主義で社会をうまく使いながら生きている。システムのあら捜しをして、その隙間に陣取っているのだ。
この生存戦略を生活保護者攻撃のような安易なフリーライダー批判しかできない世の中は、シンプルに地獄である。

日本軍から眺める日本社会の構造とため息

みんな大好き日本軍、まさに日本人的精神の芸術的象徴であり、日本的体質の具現化であり、我々日本人とはなにかの答えである。
戦争犯罪がどうだとか、憲法9条マンセーという話ではないので、退職後右翼のお父様たち怒らないでくださいね。
軍隊とは国家の基本である。近代国家のね。
故にお国柄が出やすい。超絶システマチックな米国、紅茶は欠かさない英国、過剰なシステム化とトンデモ兵器な独逸、質的量的人権軽視人海戦術が唯一の戦術のソ連などなど。
日本軍とはなにか?それは日本の官僚性の末期症状である。
日本社会を運営する側は、行き着く先はこうなる。律令制、鎌倉、室町、江戸幕府と来て、明治維新政府の終焉は2発の原爆で終わりを告げた。
関東軍」でも同じような事が書かれているが、組織が円熟してくると、上は先行者利益を貪り、中は出世のための過剰な冒険主義となり、末端は不条理にも黙って耐えるだけの精神病者になってしまう。
官僚性がある程度固まってしまうと、エスカレーター式の「正解」が確定される。
故に常に上に立つものや控えるものはその歴史的正解を遵守するため、組織がパターン化してしまう。
パターン化で地方閥や学閥のような派閥が生まれ、本来の目的である国家を良くするためではなく、狭い官僚性の中の主導権争いが主目的となり、しかも上から下までそのシステム化の恩恵を少しずつでも配分するため誰もが無批判となり無秩序化が秩序となっていく。
自民党政治がうまくいっているのも日本軍と全く同じ現象の踏襲だ。
同質的な国民は、小さな頃から社会による教育で矯正され、この不動のシステムの防人となる。
日本軍が石原莞爾などの暴走を許したのは、先行者利益にやっとありつけて早いところ貪り尽くしたい上層部と、それを放置しつつ自分たちの新たな利権を獲得しようと躍起になる中間エリート、そしてそれに黙って巻き込まれる末端の兵卒により醸造されてる。
安倍晋三による国家私有化も同じ構造だ。ジャニーズも吉本興業も何もかも、うちの会社もそうだ。
セクト化、私的利権の追従、異分子を許さない教育・社会構成、これが日本なのである。
これの発露が、同調圧力や過労死や自殺や少子高齢化問題であることは言うまでもないし、それを放置している事実こそが日本的なのである。

中国の歴史はやっぱりクレイジー過ぎて読み物としては最高、住みたくはない。

そんな島国の横の大国の歴史、大好物である。
毛沢東なんか目じゃないクレイジーな皆様が3年に一人は生まれる大バーゲンセール国家である。
特に魏晋南北朝時代は異民族大乱闘で、ニンテンドーの珠玉のキャラクターたちもお手上げである。
純粋漢民族(これもひとつの民族と言えるのか?)の王朝なんて数えるほどしかなく、大陸国家の宿命の異民族の乱入と散逸のルーチンワークにより全く安定しない。
梅棹忠夫と気候条件が噛み合えば、確変異民族タイムである。
中華の官僚システムは最高クラスの人間管理マシンであるのに、100年もすれば腐敗の極みに達し、異民族をわざわざ呼び寄せるようなイカれた皇帝が現れる。
また異民族のキャラも際立っていて、せっかく大都会で成り上がったのに、しょうもない痴話喧嘩や親族争いで出現した次の行で血祭りにあげられている登場人物だらけになる。
しかもこんなクレイジーな時代において、貴族文化が花開くという訳のわからないムーブメントもさすが中華である。
北斗の拳と化した北部、そこから逃れた名士たちが開いた南部、それを分けるのが遊牧民族の苦手な大河である。
中華の歴史は人知のすべてが備わっている。だからこそ面白く、絶対に生まれたくない魏晋南北朝時代、おすすめです。

SF嫌いが読むプロジェクト・ヘイル・メアリー

SF、嫌いである。藤子不二雄のすこしふしぎなSFは好き。
SFは英米が主流であり、聞き慣れない単語も多く、みんなシャアみたいに喋るのであまり好きになれなかった。
しかし、プロジェクト・ヘイル・メアリーは最高クラスの読書体験であった。
上下巻一気読みしたのはこれとサピエンス全史くらいか。
ネタバレ一切厳禁なので何も書かない。
だが一つ言えることは、知識って大事だねということ。
そして食事を見られるのが恥ずかしい人もいるってこと。

はじめての「はじめてのウィトゲンシュタイン」

やっぱり自称読書好きには避けては通れないウィトゲンシュタイン。
他にも村上春樹やニーチェやハインラインなんかもいるが、総じて「百年の孤独」に行き着くあれは何なんだろうか?まあ良い。
ウィトゲンシュタイン、名前かっこよい。
論理哲学論考、わからん。
結局語りたいことがわからないことを語りたくさせる哲学者である。沈黙。
しかし、僕の興味を引いたのはそのイカれた人生である。
世界を変えたとまで言われた主著を書き、もう哲学は終わったと山荘に引っ込んだり、実家金持ちなのに親族軒並み自殺していたり、暴力教師だったり、姉ちゃんの自宅のデザインに凝ってみたり、とにかく天才にありがちなクレイジーな逸話にまみれている。
そして名前がかっこよい。
フォン・ノイマンと対談企画があったら、100万再生はいっただろうに。
とにかく哲学はよくわからないが、人生が小説よりも気になり〜な傑物である。

悩むくらいなら青木真也を読んで腕折られろ

空気読まないなあと思っていた青木真也が、そのまんまの本を出していた。
青木真也、格闘家である。PRIDE全盛期に青春を暗く謳歌していた僕にとって、技巧派寝技師というシュールな日本人選手は好きだった。
とにかく酸欠な青木真也は、対戦相手の腕を折った挙げ句、中指を御立てになるくらいスポーツマンシップにウンザリな男である。
そして煽りまくった挙げ句、豪快にKO負けしてしまう、そんな毀誉褒貶と背中にびっちりタトゥーして欲しい男なのだ。
しかし、この本。名著である。
空気を読まない男は、空気を読めという社会からの要請に尽く反抗していた。
柔道で勝てなかった時代に、習っていない技や新技を繰り出し勝ち始めると「卑怯者」扱いされる空気の読めなさ。しかし、勝つってそういうことじゃないの?
リアリスティックな格闘技において、くだらない空気に固執する人々を絞め落としまくり、孤独を平然と受け入れ、しかも世界トップクラスの関節技を追求する。
空気を読めないのではなく読まない、そんな人生はつらいかもしれないが、しかしそうじゃないと掴み取れない自分の真の姿がある。
茨の道に見えるかもしれないが、そう見させているのも幻想だったりする。
書を捨てよ腕を折ろう!


いかがでしたか?ってサイトムカつくよね。
以上、今年読んで刺さった本でした。
今年はアリアハンに出張があったり、中忍試験を受けたりとなかなか忙しくて本が読めなかった。
来年は「年間300冊本を読む私が見つけた幸せの生き方」的クソみたいな本でも出して印税でプロジェクト・ヘイル・メアリーをパックンマックンで映画化してえ〜
ということで、映画化に向けてクラウドファンディングでもします。
ご協力お願いします。

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