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スクールカーストによる洗脳に気づけば人生楽になるよという話

スクールカーストといえば、学生時代に誰もが感じたであろうクラスの中のヒエラルキー。
簡単に言えばリア充、非モテ。更に細かく分けると、アメリカの学園映画でおなじみのスポーツ万能体育会系やモテ男子女子軍団を頂点とし、末端はオタクにKYなどなど。
本質的なことをいえば、これは安全欲求が満たされた同質的な集団があれば必ず生じる集団形成の澱のようなものだ。

なぜ我々はヒエラルキーを生み、そしてその中だけの世界しかないと信じ込み、ヒエラルキーの序列に準じたキャラクターを演じようと空気を読んで努力するのか?
それは我々が社会的動物であるからだ。
群れを作り、所属する集団を強化することで生き残ったのが我々であり、本能レベルで集団から阻害されることを恐れる=ストレスとなるよう設計されている。
その群れのヒエラルキーとは、昔は王侯貴族や宗教家がトップにいたが、現代は見かけ上平等な階級のない集団となっている。
特に日本のように、極端な格差や人種・宗教の差異が少ないフラットな社会では、ヒエラルキーの序列を決める指標というのが曖昧である。
その指標は時代によって変遷し、現代は空気の読める清潔でビジュアル良好な人間が頂点に君臨するだろう。

義務教育を経て大学に至るまで、我々はその集団ごとのヒエラルキーから与えられた役割を演じるコマとなるよう同調圧力で強制されている。
さらにそれは自発的・自然発生的要因だけではなく、権力側である国家や教師までもがそれに準ずる。
隠れてタバコを吸ったりチョメチョメしたりくらいは道義的には非難されるが、「学生らしい過ち」として処理される。
しかし、教師の教育姿勢を非難したり、学校などの権力に対する政治的な弾劾などしようものなら大変な騒ぎである。
体制側への批判はまさしく権力によりねじ伏せられる。
要するに、体制側はスクールカースト上位者のイタズラ=正常発達で起こりうるであろう間違いは嗜める程度であるにも関わらず、体制批判は断固として許さない。
結局、スクールカーストは学生側だけでなく体制側も共犯として作られたものなのだ。
スクールカースト上位者は、派手に見えて実際のところ「体制側の用意した範囲内」でのグレーゾーンの専有が許されているだけなのだ。

では、こういった学生生活を過ごしてきた人間はどうなるのか?
それは『与えられた環境の空気を読んで自らの役割を演じよ』という適応方法への執着である。
もちろん、会社も集団であり、そして同じ教育を受けているから、環境が違っても集団内のマインドは再生産されていく。
そんな洗脳を受けた人間は、大きな間違いを犯していることに気づかない。
それは世界は与えられるものであると思いこんでいることだ。
この受身の姿勢こそ、権力側には好都合である。
いや、権力というよりも社会システムを円滑に運営するために好都合である。
権力側も社会システムに囚われているからだ。

世界は自分のものである。
社会に囚われ、与えられた環境に適応せよと命じられたままに生きることは地獄である。
それは「自分の世界はこの環境しかない」という依存を引き起こし、視野をグッと狭くしてしまう。
悩みの9割は人間関係だと言われるが、僕は環境であると思う。
人間関係など環境を変えれば良い。あなたが人間関係で悩んでいるのは、その環境の構成員との相性が悪いからだ。
スティーブ・ジョブズはアップルの経営者でなければただのクズだったであろう。
イチローはおそらく野球以外では気難しい男でしかないだろう。
宮崎駿や庵野秀明はコンビニでは絶対に無能である。
結局、社会で成功している人間というのは天才なのではなく、自分と相性の良い環境にたどり着いただけだ。
野球を知らない国に、大谷翔平以上の逸材がいるかもしれない。
しかし、それすらも社会に囚われている。
目指すのは社会的成功ではない。社会で生きざるを得ないのであれば、ストレスのない環境を探すことだ。
ストレスのない環境ということは、あなたと相性が良いということになる。
それが世間的に冴えない仕事、金銭面で貧しい仕事であろうが、そんな生活こそが幸せだという意識を持つことこそが、洗脳が解かれたことを意味する。


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