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私が夜景好きな理由

夜景って素敵ですね。よく言われる言葉ですけど。僕にとっては夜景ってただ視覚的に美しいから撮るんじゃないんです。

若い頃から華やかな都会のイルミネーションの下で栄光も挫折も味わい、光と闇の双方を経験してきたからこそ、夜景には未だに憧れも恐怖も感じています。

華やかさの反対にあるものは陰や深い闇。若い頃、深い闇が怖くて光ばかり追い求めて咆哮して彷徨してきた時代があるからこそ、今の自分があるのかなって思ってます。

年月重ね、都会の光の下で輝く年ではなくなり、段々と月見草のような自分になり、改めてカメラ持って夜景と向き合うと、過去自分の情熱も脆さも素直に受け入れられます。

最近では自然やポートレートを撮影することも多くなり、自分の心と作品が密接に連動するのだなって改めて感じています。

理屈だけでは推し量れない何かを表現したくなったり、また無性に何かをアウトプットしたいときに、文章や写真という表現手段はとても貴重な存在だと僕は思っています。

飽和して成熟した社会のなかで、それぞれの人間が進むべき道を迷うことが多くなるかもしれませんが、今後のダイバーシティ社会で多様な価値観や人間が集う社会ができあがるからこそ、文章による言語化能力や、写真やデザインによる視覚化能力は今後、さらに必要とされることは間違いありません。

ビジネスと芸術って以前は全く別物っていう認識があったかたも多いかもしれませんが、もはやこれからの時代、ハードインテリジェンスのあるビジネスマンでもなんらかのクリエイティビティーを持ってアウトプットしていく力を持たないと、価値のない人間となっていくんだなって、同年代を見てて感じます。

諸先輩方を若い頃から見ていると40超えると先が見えるとか、急に年金や社会保険の話がトピックに上がってくるけど、これらの問題って実際20年先どうなってるのかなんて誰もわからないし、60歳の定年で逃げ切れる人生なんて、これからの時代はもはや存在しないのです。

いつまでも現実と向き合って光と闇を経験しながら人間は儚く、でも強く美しく生きることができるのかなって思ってます。

時代は変わり都市や都会の果たす役割も限定的となり、過渡な都会依存や羨望はなくなっていくかも知れませんね。

でも、いつでも栄光と挫折のシンボルであり、目指すべきものは都会にあります。そしてそこには栄枯盛衰、光と闇、希望と失望、相反する概念が共存しています。

いつまでも見続けていたい。撮り続けたいという魔力を私は夜景に感じています。秋から冬へと移りゆく中で、澄んだ空気とイルミネーションが早く戻ってくることを祈念しております。

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