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■8月13日 noteを続けていくために大切なのは

毎日書いているこのエッセイ、とうとう100日連続更新を突破しました。何の気なしに始めたものでしたが、100日を超えるとなるとやはり感慨深いものがあります。

始めた頃は、夜に書いて朝に更新ということをしていました。が、途中で原稿の仕事が立て込んでしまったり、短歌を詠み始めたりしたことから、更新する朝にせっせと書くように。その分、更新時間もずれ込んで、お昼になりました。

毎回1500字以上を書いています。2回ほど、1000字に満たない日がありますが、それ以外の日は全部1500字以上になっています。多いときだと、実は2000字超えていたりして(笑)400字詰原稿用紙で換算すると、4~5枚。朝からそんな長いものを読んでいただけるのか? という疑問があり、更新をお昼にしたという経緯もあります。

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noteを始めてから、エッセイを書きたいと心のどこかでずっと思っていました。ですが、これまで読んできたエッセイや随筆のすばらしさに打ちのめされ、私にはこんなにステキなものは書けないと決めつけてもいました。また、そもそもエッセイってどう書けばいいのかも分からなかったのです。

国語講師をしていたとき、随筆を教える授業がありました。そのとき、「随筆は筆者自身の経験や見聞きしたことをもとにして、そこから考えたことを書いたもの」と教えたのです。

noteでエッセイを書こうと決めたとき、そんなことを思い出しました。そこで閃いたのです、「あ、日記から始めればいいんだ」と。

だから、初めの頃はその日にあったことや、その日に読んでいた本について書いています。書ければ、そこから考えたことも続けるという体裁です。これは無料だからこそできたことでもあります。が、これなら書けるという妙な自信があったことも確かです。

わりと長い間、そのままの体裁で書いていました。ですが、書き続けることで「慣れ」とともに「変化」が生じたのです。その日にあったことを日記調に書かなくても、自分のなかに何となくのお題を生成して、それについて書くことができるようになったのです。

これは驚きでしたし、これが何となくできたとき、めちゃくちゃうれしかったのを覚えています。「やっとエッセイが書けた!」ほんとうにほんとうにうれしかったです。

それまでは「エッセイを書いている」と自分を紹介することに対して、少しの気恥ずかしさと共に、「なんか違う感」がありました。でも、そんな風にその日に起きたことなしで記事を書けたことによって、堂々と胸を張って「エッセイを書いている」と言えるようになったのです。誰にって?…もちろん、自分にです。

この「自分に対して胸を張れる」って、noteを続けていくために、実は大切なコトかも知れません。自分が何を書いているのか、自分以外の人はもちろん、自分に対してもきちんと胸を張って堂々と説明できるということ。

それさえあれば続けられる、というものではありません。続けるには、体力もいるし、気力も必要。あとは…どんなに仕事が立て込んでいても、なんとか書いていく根性とか。質は落としてでも完成させる図太さとか。いろいろ。…いつの間にか、体育会系な根性論になっていますが(笑)

それでも、その根本には「私が書いているのは〇〇です」と胸を張れることがあればこそかな、と思うのです。

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エッセイも100日を超えたことですし、ここからnoteを方向転換させようと目論んでいます。手をつけては逃げてしまったことに、腰を据えて取り組もうと思うのです。

そのことによって、どう自分が変化していくのか、自分のnoteが変わっていくのか、怖くもありますが、それ以上に楽しみでもあります。

「私が書いているのは〇〇です」とどの記事でも胸を張れるように、こつこつと書き続けていきます。これからもどうぞよしなに。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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