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庭でおどる時

『家の畑にまむしおった。心臓がおどったわ。見失ったけど。怖いね! 庭はないよね。来年はごうやは植えない』
 
というLINEが実家の母から送られてきた。
マムシ(毒蛇)と遭遇し、驚いた母の動揺が見事に表現された文章だった。

『庭の家庭菜園にマムシがいて驚いた。心拍数が高くなって未だにドキドキしてる。怖いわー。今年はあなたが好きなゴーヤを植えたけど、マムシがグリーンカーテンに涼みに来るかもしれないから、来年からはゴーヤを植えるのやめるからね』
 
私なりに母からのLINE文章を脳内変換してみた。
そこで思った。
心臓の悪い母は、『心臓がおどる』という表現を頻繁に遣う。
何かに驚き心臓がバクバクとして未だ動揺が治まらない時に、『心臓がおどる』が登場するのだ。
この時の『おどる』は『躍る』を遣うらしい。
しかし音で聞いたとき、『おどる』は私にとって、ダンスの『踊る』のイメージが強いから、『心臓がおどる』という表現はプラマイゼロみたいで面白いと思ってしまう。
 
ところでマムシは怖い。

マムシは蛇とは違って毒がある。
もしも噛みつかれでもしたなら速やかに病院へ行かねばならない。運が悪いと入院も必要だと聞く。
そんな恐ろしい生き物が、実家の庭にいたのだ。
さぞかし母は驚き、心臓も悪いのに、その心臓はおどるほどに負担をかけさせられたのだ。
 
『マムシには気を付けろ』
 
それは田舎のスローガンのように、夏場には大人たちが警告する言葉だ。職場の秘密基地の裏庭にも『マムシ注意!!』の貼り紙があるほどだ。

しかし、何となく私は、危害さえ与えなければマムシとは境界線が保てるような気がしていた。
 
子供の頃に、私は初めてマムシと出会った。
草むらの中、私たちは至近距離で暫く見つめ合った。
マムシの視線は私の瞳を火傷させるかのような熱いものだった。マムシは黙ったまま、じっと私を睨んだ。
私は恐怖のあまり、石にでもなったかのように動けなくなった。しかし、睨まれたなら睨み返すハンムラビ法が日常に身に付いていた私は、石のようになり動けない状態であっても、目だけはマムシの目を捕らえて離さなかったのだ。
 
マムシがすごい圧力で睨んでくるならば、私もそれ同等の圧力と熱量で睨み返す。
 
私たちの視線は互いに絡み合い、暫くの睨み合いの後、なぜだかフッと解り合える瞬間が訪れたのだ。
 
マムシは私に背を向けると、草むらの奥深くへとシュルルと姿を消した。
 
昔の青春ドラマで、河川敷などで男と男が殴り合いの喧嘩の後、疲れはて寝転がり、空を見上げながら『あははは!』と目をあわせて笑う。そしてなぜだか友情が芽生えてしまうようなエピソードに近いと思った。
 
私たちは恐怖を押し殺して睨み合い、熱い視線をぶつけ合った後、互いを尊重し合い、境界線は越えなかったのだ。
 
だけどそれを心臓の悪い母に『マムシと会ったら睨めっこをすればいい』とアドバイスをした所で、到底出来ないだろう。
マムシと解り合えなんて言ったところで、噛みつかれでもしたなら大変だ。それこそ心臓がブレイクダンスをしてしまうだろう。
 
心臓の悪い母にはそんな不幸が訪れることのないようにと切に願った。
そして、せめて盆踊り程度の踊りにとどまらせる策はないのかと考えた。
 
二日後、母からLINE電話がかかってきた。
 
『今度は倉庫の下にいたの! なんで!? もう心臓がおどっておどって!』
 
母はすぐに近所の男衆に頼み、マムシを捕まえてもらおうとしたが、マムシはすでに姿を消していたという。
つまり、未だ庭のどこかでマムシは姿を潜めている可能性があるのだ。

『見つけたら棒でポカンと叩けばいいなんて簡単にみんな言うけど、それができないから困ってるのに……。もう野菜も花も触るのが怖くて水だってあげれやしない。こんなんじゃすぐに枯れてしまう……。絶望的だわ……』
 
元気のない母の声に、私はなんとかしてあげたいと考えた末、蛇忌避剤とスプレーをネット通販で購入し、実家へと配送指定しておいた。
母は蛇忌避剤を撒いた後も、玄関の外へと出るのも警戒し、もしもいたらと想像しただけで心臓がおどるらしい。
常に外へと出る時は、お守りに蛇退治のスプレーを持参しているという。それは3メートル先からでも飛ばせるスプレーだから、棒で頭をポカンと叩くよりは難易度は低いだろうが、3メートル先からでもノズルを押す時を想像すれば『心臓がおどる』と嘆いていた。
 
しかしこれは母に与えられたミッションだ。私が遠隔でどうにかできるものでも無い。なんとかこの二つのアイテムで、どうか心臓が盆踊り程度のドキドキで事なきを得るのを祈るばかりだ。
 
実家へと帰った時、私は母が世話をする家庭菜園とプランターの花を見て癒されていた。
庭の植物が生き生きとしている時は、母も元気なんだと、安心できる私もいた。
 
だから私はマムシに土下座してでも頼みたい。
母の趣味を奪わないであげてほしいと。
 
あなたはただそこに、綺麗な花を見ながら涼みに来ただけなんだろうけど、残念ながら母はあなたを生理的にひどく受け付けないの。
 
勝手で失礼な事を言って申し訳ないが、その庭から去ってくれないだろうか。それか、来るなら母に気付かれないよう、危害を与えないようにお願いしたい。

私は、母の趣味が枯れることなく、花や野菜が庭を賑わす日々が続いて欲しい。
母がおどる時は、幸せで楽しい時であって欲しいと願うのだ。
 

 

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