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近頃のBLM関連のSNS炎上等について考えたこと

最近、歌手のオザケンがBLMについてTwitterに投稿した発言が炎上していた。すでに多くの知識ある方々が正しく批判や指摘をされていて、非常に勉強になった。いろいろと考えさせられたので、自分なりに思ったことを記録として残しておこうと思う。

物理的には当事者ではない問題に関わるとき、常に誠実で真摯で謙虚でいることが超重要だと改めて思った。そしてそれは全然楽なことじゃない。ときに葛藤や痛みも伴うものだと思う。

オザケンの一連の発言からはそれらを1ミリも感じられなかったから、不信感だけが残った。

すごく子供でばかみたいだけど、私がBLMについて語るとき、考えるとき、いつも思い出すことがある。昔、学生のとき、初対面のBlackの女の子と音楽の話になって、私が、Hip Hop好きなんだ!と言ったら、その子は顔をしかめて鼻で笑って、へ〜ちなみに私はジャマイカ出身だけどね、と言った。

彼女は、私が彼女がBlackだからステレオタイプで当然Hip Hopを聴くと思って嘘というかテキトーにHip Hopが好きだと言ったアホだと誤解したんだと思う。私は本当に13歳からどっぷりHip Hopにハマってた人間だったんだけど、そのとき「いや私ガチで好きだから!」とかはとても言えなくて、何て言えばいいかわからなくて気まずくなってしまった。(なんならレゲエも当時かなり聴いてたけど当然言えず。)

大したことじゃないし考えすぎかもだけど、この時のことをなにげに引きずっている。今は大人だから顔に出したりしないけど、あのときのあの子みたく、内心は「でもあなたは黒人じゃないよね」って思われてるかも、嫌な思いをしてるかもしれないって考えてしまう。

だってその通りだから。私は当事者意識を持って行動している。でも私は黒人じゃないから実際にその苦しみを体験していない。アメリカに住んでいたときだって、偏見や差別はあるにはあったけど命の危険にさらされるような目には合わなかった。今は日本に住んでいるから完全にマジョリティだ。

だけどそれでも、BLMに私は迷いなく連帯する。それが正しいことだと確信しているから。この世界に生きてる人間の1人である以上、世の中にある理不尽な問題をなくすために声を上げて行動する責任があると思っている。その意味で、当事者であることに間違いない。
でも、いつもあのときの気まずい思い出がよぎる。BLMに限らず、自身が物理的な当事者ではない問題に取り組む人たちは、多かれ少なかれ同じようなもどかしさや葛藤を感じてるんじゃないかなと思う。

大げさかもしれないけど、常に、これは偽善かも?自己満かも?と自問するようにしている。そして間違いのないように細心の注意をはらう。それでも間違えたら必ずすぐに訂正して学び直す。パブリックに発信する立場にない人間であってもだ。

ぜんぜん楽なことじゃない。

でも問題に真摯に向き合うってそうゆうことだと思う。それがめんどくさくてできないなら、関わらない方がましだと思う。当事者たちが現在進行形で命がけで戦ってることについて、めんどくさいって傲慢にもほどがある。

そうゆうわけで、オザケンの一連の発言内容の是非うんぬんではなく(実際、内容も間違っていたけど)、当事者たちが文字通り日々命がけの戦いの真っ只中にいるのに、しかもそれを知っているはずなのに、絶対的に安全な場所からのんきな口調で自身の独自見解を何のためらいもなく語るというその行為や態度自体が、上記のような葛藤や自己を省みる姿勢が1ミリでもある人なら絶対にできないことだと思う。

だから、発言の一部を切りとって誤解しているとか、発言の意図や文脈をちゃんと汲み取れとかゆう主張は的外れだ。発言の真の意図をがんばって汲み取れても、彼のこの一連の行動自体が傲慢そのものだから。彼がBLMに真摯に連帯している人とは到底感じられなかった。

とにかく、私が今回の件や人々の反応やその他近頃の他のもろもろの件をみて自戒を込めて思ったのは、
        楽をするな
ってこと。

どんな問題も難しいから問題になってる。向き合うには覚悟がいる。楽じゃないよ。まあ表現の違いだからいいじゃん、個人の見解だからいいじゃん、よくわからないからいいじゃん、じゃないんだよ。よくねえよ。
発信する立場にいる人もそうでない人も、楽をしないで、誰かが教えてくれるのを待つんじゃなくて、自分の頭を使って考えて想像して学んで反省して、それを生きている限り繰り返し継続していかなきゃだな、と改めて強く思いました。