えりん

事務職でジョブホッパー。建築→通信→保険→番組制作→IT→オフィスメーカー→映画→教育…

えりん

事務職でジョブホッパー。建築→通信→保険→番組制作→IT→オフィスメーカー→映画→教育→動画配信→福祉→メーカーをフラフラと。

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最近の記事

物体っていったい

絶賛コロナ禍在宅勤務中、異様に昔のことばかり思い出してるんだけど、みんなどんな感じなんでしょうか…これって私だけなんだろうか…怖い。 今TOKYO MXで毎週セーラームーンを放送してるんだけど、やっぱりセーラームーンって最高だ。 子供の頃にやってたものだからって「思い出補正」がかかってるわけじゃない。視覚的な引力がすごい。武内直子…と製作陣?のフェチが盛りに盛り込まれてる。でもお話はやっぱりアレだから一応子供向けに作られてるので正しいんだよな…??? フィギュアスケート

    • めめんともりもり

      ばあちゃんの時もじいちゃんの時も葬式には、ぷわぁ〜んとした尺八みたいな音色の曲がかかっていた。 おかげで似た音色がどこかで鳴っていると、フワッと葬式の景色を思い出す。 (たまにババ臭い和食屋さんの店内とかでもJ-POPが葬式の時みたいな音色で鳴ってる) 病院での看取り・葬式・お経・お墓・訃報…日本って故人を無理やり同一規格化し過ぎている気がする。 (外国のことは知らないけど) 何かのトリガーで、亡くなった複数の人を同時に思い出すはめになるのって、ちょっと失礼な気がしてし

      • 人間がきのこに見える

        最近、三島由紀夫の小説を読んで価値観の変化がちょっとあった。 自分は人とは違うのだという貴族意識って、兎にも角にも下らない。昔の人が書いた本だと特に顕著だ。 ネット社会の今みたいに、上でも下でも簡単に他人の生活を知ることができなかったから、“生まれ”という実力とは関係ないものに貴族階級の人たちは絶対的な謎の誇りを持っている。 (そこに思い至らない時点で滑稽なんだけどね) じゃあ金持ちが得られるものってなんだろうか? ①希少性のあるものを容易に手に入れられる。 ②最新

        • ベンジャミン・バトン

          なぜかnoteには暗いことを書きたくなる。 今年は人生で1番価値観が壊されて変わった年だった。しつこいけど2月のじいちゃんの死と、ネトフリで観た「ベンジャミン・バトン」だ。 大学3年の頃、ばあちゃんが死んだ時も悲しかったけど、じいちゃんがばあちゃんとの記憶も気配も残してくれていたから、本当は実感がなかったんだと思う。 これまで私は自己肯定感が低くて若干の潔癖症だった。ずっと違う自分になりたくてコンプレックスもあって過去を否定し続けて生きてきた。物や人間関係を容赦なく捨て

        物体っていったい

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        • 正直日記
          7本

        記事

          好き嫌い

          食べ物の好き嫌いって不思議である。 アレルギーであれば、身体的に異常をきたしたり、 最悪命に関わったりするから避ける事に対する絶対的な理由になる。 が、 好き嫌いになると、別に死ぬわけじゃない。 だから拒絶反応が出るものでも、 なるべくは我慢して飲み込んでしまいたい。 己の脳みそだけの問題だ。 カラシ・ワサビ・シソ・梅干しがどうしても苦手だ。 アレルギーでも毒でもない物を食べられないことが 悔しくてこれまでに何度もチャレンジした。 けど、無理をすると危う

          好き嫌い

          葬儀フェス

          じいちゃんの葬儀が終わった。 物理的に違うものになるのを目の当たりにしてしまうという意味では、葬儀の中で火葬が1番気持ち的にくるものがある。 もう戻らないんだ。 棺の中に付箋でメッセージを書いて入れようと、叔母が粋な計らいをしてくれた。 子供みたいなことを書いた。でも伝えたかった。 じいちゃんは免許を持ってなかったから、ばあちゃんのことをブー(ブの)バーちゃんとずっと呼んでいた。 棺に入れてあげたい物みんながみんな持ってきたのがお酒だったので、じいちゃんの顔まわり

          葬儀フェス

          にくのひ

          じいちゃんが2月9日14時10分に亡くなった。 トイレで立てなくなって救急車で運ばれたのが12月16日だからあっという間だった。 兄は初孫でそれに続く孫の私も、両親が不仲になってじいちゃんばあちゃん家に転がり込むまでは本当にまっすぐ猫可愛がりされたものだ。 私はじいちゃんに異性を感じたことが一度もない。特定の女優にデレデレしている姿を見せたことや、メスであるから私を兄とは異質に可愛がってきたり変な距離感を感じさせられるようなことは全くなかった。物心ついた頃からばあちゃん

          にくのひ

          じいちゃんへの告知

          じいちゃんが年末にトイレで立てなくなって救急車で運ばれた。主観的に身体の痛みやおかしな感覚は全くないらしい。 90歳越えてるし足腰が弱ってるからだろうと。どうせ検査してもすぐ退院して帰ってくるだろう、今のうちにじいちゃん不在の快適な実家を堪能しようと思ってた。じいちゃんがいつも座ってる食卓の椅子周りは一瞬お茶を取りに台所まで立ってすぐ戻ってきそうな雑多な環境のまま。 が、検査検査を重ねたら胆管ガンであることが分かり、どうやら腹水も結構溜まってしまっているらしい。先が短い。

          じいちゃんへの告知

          テラハのじけん

          最新のテラハは全部見てた。 だから今回の事件は結構ショック。 人が亡くなる時って、その反応で人間性が見える。 「話を聞いてあげれば良かった」ってタレントのコメントを見た。ひねくれ者としては違和感しかなかった。 私も20代半ばの時、色んな事が重なって本気で死のうと思ってネットで楽な死に方ばっかり検索してた時期がある。 もう本当に理屈じゃなくて、たぶん脳の快楽物質か何かが病的に枯渇してて、この先の人生に不安要素しかなくて死ぬことが救済でしかないとすら思ってた。「死のう」

          テラハのじけん

          ひっそり

          Twitterで長文連投もウザいかも知れないと思いnoteに甘えてみようかなとか。 頭の良さと共感力・道徳性はなかなか両立しづらいものだ。 派遣社員としてふらふらし過ぎて今11社目。受動的に過ごして来たわけじゃない。元々の自己肯定感の低さから、場を読むために必死に人間観察して来た。 頭が良くていい大学出てキャリアもあってっていう人は、普通、どれだけ巧妙に論理を積み上げられるか・そこから益を得られるか…に意識を大きく使うから、レイシストになり易くなる。もちろん、頭がいいだ

          ひっそり