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めめんともりもり

ばあちゃんの時もじいちゃんの時も葬式には、ぷわぁ〜んとした尺八みたいな音色の曲がかかっていた。

おかげで似た音色がどこかで鳴っていると、フワッと葬式の景色を思い出す。
(たまにババ臭い和食屋さんの店内とかでもJ-POPが葬式の時みたいな音色で鳴ってる)

病院での看取り・葬式・お経・お墓・訃報…日本って故人を無理やり同一規格化し過ぎている気がする。
(外国のことは知らないけど)

何かのトリガーで、亡くなった複数の人を同時に思い出すはめになるのって、ちょっと失礼な気がしてしまう。死は、その人の人生のお尻の方のほんの一部分だ。

実際に葬式や法事って、見送る側の心の流れに沿ってなく「おら!亡くなったことを実感しろよ!」って首根っこ掴まれて氷の上に叩き落とされるような、強制された感覚がある。

なんかもっと葬式は必ずしも出なくてもいいとか、訃報はサラッと事実だけ一箇所に流されるとか、残された人それぞれに、亡くなったことの受け取り方が委ねられる世の中になればいいのにな〜って思ったり。

かしこ。

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