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ベンジャミン・バトン

なぜかnoteには暗いことを書きたくなる。

今年は人生で1番価値観が壊されて変わった年だった。しつこいけど2月のじいちゃんの死と、ネトフリで観た「ベンジャミン・バトン」だ。

大学3年の頃、ばあちゃんが死んだ時も悲しかったけど、じいちゃんがばあちゃんとの記憶も気配も残してくれていたから、本当は実感がなかったんだと思う。

これまで私は自己肯定感が低くて若干の潔癖症だった。ずっと違う自分になりたくてコンプレックスもあって過去を否定し続けて生きてきた。物や人間関係を容赦なく捨てられたり、ちょっとミニマリスト的なところがあるのもそこから来てる。

地元に帰るとうんざりするくらいの変わらなさがあって、どれがどういう風に自分を形成させたかがはっきり分かるから、兎に角逃げられる位置にいたかった。そして地元にいる人たちのことも現状維持と何もしないを履き違えてる人たちだとずっと思って軽蔑すらしていた。


じいちゃんが死んで、ばあちゃんの気配も一緒に持っていってしまったことによって、初めて死の本当の意味を理解した。この歳になって。

幼稚園の頃、遊びに行ってたじいちゃんばあちゃんの家に寝ているところを親に置いていかれて、夜中目を覚まして号泣してあやしてもらったことをよく覚えている。中学の頃一緒に暮らすようになってからは、土曜は母も仕事で兄も遊びかバイトに行ってて、じいちゃんばあちゃんと昼ごはんを食べながら「バラエティー生活笑百科」を観るのが定番だった。

3人で過ごした時間の記憶が、今はもう私の中にしかないのかと思うととても苦しい。

これまでの私はまだ見ない先の時間や欲求にしか意味を見出さず、過程はしょうがなくやり過ごすものでしかないと捉えていたことに気がついた。

私には、人との時間を別の誰かが記憶していてくれるという甘えがあったんだろう。

人の死を実感し、その記憶が自分の中にしかないと人は外部に記憶を思い出すトリガーを持ちたくなる。

だから人は思い出の品を捨てられなくなるんだな。初めて分かった。

今は地元に帰ると、実家に帰ると、死んだじいちゃんのことを思い出すと、変わらずにそこにいてくれてありがとうって心から思う。

なんでこんなヤンキーの多い地に生まれたんだってうんざりしてたけど、過干渉な家族にうんざりして逃げることばかり考えてたけど、どの瞬間も私の人生の大事な一部分だった。気付いたのが遅すぎるけど。

この世に変容しないものなんてない、記憶だって同じだ。人と一緒にいる時間の長さは本当は選ぶことができない。

気持ちの実感が伴わなくても、今目の前にある環境や人は大切にしていくよう沢山頑張るしかない。

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