じいちゃんへの告知
じいちゃんが年末にトイレで立てなくなって救急車で運ばれた。主観的に身体の痛みやおかしな感覚は全くないらしい。
90歳越えてるし足腰が弱ってるからだろうと。どうせ検査してもすぐ退院して帰ってくるだろう、今のうちにじいちゃん不在の快適な実家を堪能しようと思ってた。じいちゃんがいつも座ってる食卓の椅子周りは一瞬お茶を取りに台所まで立ってすぐ戻ってきそうな雑多な環境のまま。
が、検査検査を重ねたら胆管ガンであることが分かり、どうやら腹水も結構溜まってしまっているらしい。先が短い。
このご時世、コロナで病院に入ってからは面会謝絶。先が短いのなら家に戻してあげたいけど、物理的にトイレで立てなくなったじいちゃんを誰も運び出せなかったくらいだから、家族で身の回りの世話をしてあげるのも不可能。すごく簡単な物理面でじいちゃんを家で過ごさせてあげることができない。
大病院は基本延命措置が主となるから、違う所へ移る必要が出てきた。別の病院か、緩和ケア施設。
緩和ケア施設は本人が余生を知っていなければ入れないらしく、お医者さんからも「年齢的に酷だから告知は難しいですよね」って言われたので、“転院”一択になった。
じいちゃんはお医者さんに「早く帰りたい」って言ってるらしいけど、なんとなく別の病院に移されて徐々に衰弱していって察することになるのかな…とボンヤリ構えてた。
が、じいちゃんの病院への対応は叔父とおかんがしてくれている。
不意打ちでおかんからこんなLINEが来た。
「爺ちゃんが、告知されて以来ちょっと落ち込んでるらしく日曜日にちょっとだけ面会出来る事になったのだけど、2時過ぎフェイスタイム出来る?」
はい?
色んなことが実感わかなくボンヤリ構えてたけど、頭に衝撃が走った。
告知できないから緩和ケアの選択肢がなくなったのでは?
「◯◯(叔父)が本人に伝えないと転院の理由不思議がるから不自然て事になって」
私は泣いて怒った。
別に叔父は悪い人ではない。温厚で公務員をしていてちゃんとしている。ついでにマーチ出てるから頭も悪いわけではない。
分からん。
いくら歳を取っても死ぬのって嫌じゃないのか?よく冗談で「死んじゃった方がいいのかもね」って言って私を困らせていたばあちゃんが実際重いガンになって一緒に車に乗っていた時、ふと「本当はずっと生きていたいけどね」って言っていた。あれが共通する本音ではないのか?
例えば、自由が効くときに死ぬと分かったならなるべく好きなことをしたり、見える景色が尊く美しく感じるかもしれない。でもじいちゃんはこのコロナ禍で人と接触することもできず、この先も病室にいることしかできない。
自分だったらって考えると、もう死ぬのにって点滴や食事にだって意味を感じなくなるだろう。大好きな相撲の本や孫の近況だってインプットしても意味ない情報と全てが無価値になって何をする気も起きなくなるかも知れない。そんなの生きてるのに殺してるのと同じだ。
1人だけ友達にこの話をしてみたら「私たちのお母さんお父さんの世代って、形式を通すのを重んじる所があるから感覚が違うのかも知れない」と言ってくれた。これはとても腑に落ちた。
昔付き合ってた人が母子家庭で、子供の頃おばあちゃんの家で育てられたんだけど、その人が「おじいちゃんおばあちゃんと孫って、息子娘よりもまっすぐに愛情をぶつけられる関係だよね」って言ってたのをよく覚えている。
私が見てきたのは「おじいちゃん」だ。
おかんと叔父は大変厳しく育てられ、理不尽な思いもいっぱいしたらしい。
だから私から見る「おじいちゃん」と、おかんと叔父から見る「おじいちゃん」とでは、蓄積してきた情報量が違うのだから捉え方が同じになるわけはない。
わからない。
人間は変わる。性格も老いる。
おかんと叔父の中にいつかの厳しい父の姿である「おじいちゃん」が残っているのかも知れないけど、今はただの94歳のお年寄りだ。告知はじいちゃんが気丈である前提でなければ成り立たない。
これだけ心理学が世間で流行って、昔は良かったとされていたことが覆されたりして人間のメンタルの繊細さ・扱いの難しさが明るみになってきているのに。昔の感覚のまま不感症に生きることはやっぱり時には何かの毒になる。
私がこんな風に考えるのは、息子娘の関係性じゃないから勝手なことなのかも知れない。
みんなが、死ぬまでに幸せを感じる総量が1mgでも多くなるように、死ぬのが間近であると分かっていても、周りが、本人が幸せに生きるために最善の選択ができるようにあってほしいと思う。
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