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紙の束(SFショートショート)

 目の前に積み重ねられた紙の束を見つめながら、おれは喉の奥から唸り声が漏れ出るのを止められなかった。
 紙の束……数字と肖像と風景が印刷されただけの、仕事で使うコピー用紙より薄っぺらい紙の、束。それだけの物に、なぜこうも心を動かされるのだろうか。
「で、どうなんだ。これだけ積んでもダメか」
 紙の束を無造作に取り出しておれの前に積み重ねた男は、イライラしたように肩を揺すった。
「だ、だだ、ダメれす」
 ダメなのはおれの唇だ。想像外の大金を積まれた動揺が如実に現れてしまった。男は渋い顔でおれを睨み、おれはおれで、積まれた紙幣から目を離せない。そこから発される何らかの毒が目から脳へ伝わり、手指の神経を侵して、意思とは別に束を掴んで、そのまま部屋を飛び出してしまう、なんてことが起きそうな気がしてくる。
 しかしそうなるよりも、男が諦める方が早かった。毒を発する紙の束は一瞬で消え失せ、肩を落とした男も数分で立ち去った。思わず「助かった……」と呟いてしまう。
「助かったのですか」
 奥に引っ込んで様子を窺っていたミライさんが、古くなってキイキイいう車輪を動かして顔を出した。発売当時は最先端だったディスプレイフェイスに、当時は流行っていた顔文字が可愛らしく浮かんでいる。
「うん。ミライさんを手放さずに済んだよ」
 華麗に追っ払ってやったよ、と言うと、ミライさんは昔活躍していた何とかいう声優の可憐な声で笑った。
「ありがとうございます」
 祖父の形見であるミライさんは、ロボット産業黎明期に生産され、今ではとんでもない額で取引されるレアな骨董品だ。祖父が丁寧にメンテナンスしていたので、さっきの男のように大金を積むマニアが後を絶たない。
 だが、どんな対価を提示されようとも、おれはミライさんを手放すつもりはない。祖父とミライさんとの思い出に比べれば、あんな紙の束には何の価値も無いのだから。
「私も、どこにも行きたくありません」
 そう言って、ミライさんは照れを表す顔文字を点滅させた。


《Twitterでフォロワーさんと楽しく行なっている、リレー小説のために書いたショートショートです。》

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