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夏休みこそ絶好の探究チャンス!体験と自由な時間と大人のゆとり


教育の中に「探究」という言葉が
ぐんぐん広がってきて、

これからの学びや教育を考えるときに
外せないキーワードになっている。


探究の「究」は究(きわ)めるの「究」。

それぞれの子供たちによって、
究めたくなるテーマ、
興味をそそられるもの、夢中になれることは違うから、
なかなか普段の学校の中では、

探究、探究、探究学習!
といわれても実際問題、難しいところがある。

どうしても共通のテーマを追い求めることになりがちで、
それはそのテーマに興味を感じない子を生んでしまう結果に。

こればかりは、学校の学びの性質上、
限界があり、いたしかなないのかもしれない。


でも、そんな学校の時間割や枠から
解き放たれる期間が長期休み!

中でも、日本だと夏休みがいちばん長いから、
夏休みはまさに探究にはもってこいの期間。

普段はなかなかできない体験、学びを
心ゆくまで夢中になって探究してほしい。

心からそう願う。


探究よりも大量の宿題を片付けなければならない日本の子供たち

夏休みといえば自由!

子供たちの心を躍らせる「夏休み」という言葉には、
秘められた魔力が存在する。

そんな子供たちのワクワクした気持ちに待ったをかけ、
今すぐにでも夏休みワールドへ突入したい心と体を
ぐ、ぐ、ぐいっと地上からロープで引っ張り、
現実に戻すものが

「夏休みの宿題」問題。

期間の長さに合わせて出される宿題の量たるや大量で、
課題リストのみを印刷した紙が配られるほど…。

この大量の宿題が
夏休みというキラキラ煌びやかな世界に
大きな影を落とす。

子供たちは、
“宿題を全部終えなければ真の自由は得られない“
呪縛にかけられる。

おちおち、探究もままならない。

探究には心のゆとりと時間の自由が必要だ。


2ヶ月の長期休みでも宿題のない世界の子供たち

日本にいると、夏休みの大量の宿題は当たり前な感覚がある。

大人たちもみんな子供の頃に経験してきて、
今に至る。

だから、あまり疑問に思わないかもしれないけれど、
日本の夏休み大量宿題問題は、
世界の流れとは真逆の道…。

海外では、2ヶ月の夏休みでも
宿題ゼロは当たり前
だったりする。



長期期間にしかできない学びがあることを理解し、
そんな学びや体験に価値を置き、
そういったことを実際にできる夏休みが世界には存在する。

子供たちは、今日も明日も明後日も休みという
自由な時間の中で、
自分の好きなことや興味あることに
夢中になることができる。

まさに、探究し放題の環境。

そんな体験をたくさんした子供たちは、
休み明け一回り成長する。

またフレッシュな気持ちで、
学校の学びに入っていくことができる。


科せられた大量の宿題というミッションを
なんとかやり終えたものの、
また始まる学校ライフに暗い顔して登校してくる
日本の子供たちとはえらい違い…。

9月1日に子供の自殺が増えるというのも日本独特。

とても切ない。


大いに遊び狂うのだ

日本の夏休み大量宿題問題は、
まさにコントロール教育。

子供に自由を与えたら、何もしない。
遊んでばかりで勉強をしない。

だから、宿題という課題を与える必要がある。

そういう考え方がベースにあるんじゃないだろうか。

これってまるで、子供を信頼していない…。


そもそも、
何もしないのは、したいことがないから、
またはやりたいことを言っても
どうせ叶いっこないという諦めの境地に至ってるから
ということはないだろうか?


「これしたい!」と言っても
「散らかるからやめて」と言われたり、

「ここ行きたい!」と言っても
「仕事だから無理」「暑いから出かけたくない」
と言われたり…


そもそもその②は、
遊んでばかりで勉強しないの考え方。

これって遊びと勉強を完全に分けて、
遊び<勉強 に基づいた価値観。

これがおかしい。

遊びこそ学びだし、
遊びの中にたくさん勉強の種はあるし、
遊び=探究の始まりといっていいほど。

遊びこそが子供の仕事といってもいいくらい。

子供よ、大いに遊び狂えと言いたい。


探究には出合い(体験)と時間とゆとりが必要

アクティブに動く子は、
動く中で体験し、疑問が生まれ、もっと知りたい、
もっとやってみたいと自ら探究していったりもする。

ただ、そういった自ら動ける子ばかりではない。

このご時世、子供たちが自由に動ける範囲も
ますます制限されている。

「さぁ、今日は1日自由よ!何してもいいわよ!
 好きに探究しなさい♡」

と、解き放たれても、
すぐさま探究を開始できる子なんてそうそういない。

探究には自由な時間は不可欠だけど、
探究のスイッチ(電源)は、
きっかけや出合い、出会いを含んだ体験

なんじゃないかと思う。

これがないと、そもそもスイッチが入らない。

家でじーっとぼーっと1日過ごしても
探究が生まれないわけではないけれど、
頭と心を刺激する出合いや体験が大事。

子供の探究スイッチが入るまでの時間は、
その子によってさまざま。

入ったと思っても、またすぐ飽きて次にいく子もいる。

探究には、それを見守る大人の心のゆとり
欠かせない要素になる。


探究ってどうさせたらいいの?お話会開催

・子供には好きなことを仕事にしてほしい
・興味のあることを追求できる子になってほしい
・探究する力を伸ばしてあげたい

でも、どうしたらそれができるのかわからない…

そんな、
探究できる子にしたいけど、
やり方がわからないという方
向けに、

お話会を開催しようと思います。

興味ある方は、こちらからメッセージください。

8月上旬くらい
オンライン
参加費1000円くらいを予定しています。

詳細は、参加者の方にお知らせします。


探究と勉強の違い
そういったところも解説できたらと思います。

===

以前、先生をしていた頃、
夏休み明け、宿題をまったくやらずに
登校してきた強者がいた。

立場上、理由を聞かなければならない。

「なぜ、宿題をまったくやらなかったの?」


その子が言い放った言葉が今でも忘れられない。

「遊びに夢中でできませんでした」


もうね、最高ですよ。
さいっこうの100点満点の夏休みの過ごし方。

けれど、
他の子供たちの目が注がれている以上、
私はその子に
「よくやった!それは最高だ!何がいちばん楽しかった?」
などとは聞けず、

なんとも険しい顔して
注意しなければならないのが辛かった。

そんな今でも胸がきゅっとなる記憶。

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