エッセイ『旅行のとも』

コロナで海外旅行に行けないせいで、ますます思いを馳せる海外。
イタリアで濃厚なパスタを食べ、突き刺すような太陽のスペインでビールやワインをあおりたい。ベルギーでムール貝もいい。白ワインの香りを漂わせバケツにあふれんばかりに入ったそれと、フライドポテト。あれはなんで一緒にポテトがついてくるんだろう。残ったスープはパンに吸わせて頬張りたい。肉の煮込みも味が濃くってベルギービールによく合っておいしかった。チョコやワッフルも現地で食べると格別で言葉通りにほっぺたが落ちそうになる。

リゾート地もいいな。ジリジリと焼ける肌は後からシミだらけになるのに、開放感から真っ黒になりながら、恥ずかしげもなくビキニを着て、普段飲まないカクテルをプールサイドで飲む。海に来ているのにプールで遊ぶ謎はいつもちょっぴり気になるが、たまらなくおいしくてお酒が進む。
アメリカでハンバーガーやステーキ。イギリスでスコーンと紅茶。
アジアのスパイシーでエキゾチックな料理も懐かしい。韓国の目が潰れそうなくらい辛い本場の冷麺や鍋もいい。

いかにも旅行者らしい、ベタな料理の思い出だが、そんなベタ中のベタをしたくって仕方がない。
こんなことになるなら、もっともっと行っておけばよかった。
ここ何年かは日常に追われて、ちゃんとした休みなんて取ってなかった。人生の豊かさのひとつに旅行はやっぱり入れておくべきだ。
考えても仕方ないけど、会えないともっと会いたくなる恋人のように、想いが募っていく。
「何で会ってくれないのよ!」「今すぐ会いたい!」と叫びたい。でも「会いに来て」とすがっても向こうから来るものではない。行くしかない。

ところがこんなに各国の料理を想っているのに、旅行中はあるとき急に和食が恋しくなる。
和食店がない場所だともうホームシックになりそうだから、私は絶対に持っていくものがある。焼海苔、梅干し、レトルトのお味噌汁、しょうゆ、それから昆布の佃煮は外せない。これがあればとりあえずの和食欲は抑えられる。
少し長めの旅行で症状が悪化すると、寿がきやのちいさいおうどん、これは生麺タイプでサイズもちょうどよい。親子丼の素、お湯を注ぐだけのフリーズドライ。お味噌汁もアマノフーズのフリーズドライはおいしいし、軽いのが何よりだ。出汁は体と心に染み渡るのだ。

ここまではまあまあ皆さんよく持っていくものだと思うけど、今までで最高だったのは「金時豆の甘煮」だ。
美食の国スペインへの旅で、それはそれは下調べを入念にし、最初は調子よくパエリアやらガスパチョ、大きい茄子の焼いたのとか、豚の丸焼きとかぶっ飛ばして食べていたんだけど、ある日突然どれも食べたくなくなった。2週間くらいスペインを回ったので、後半まじで嫌になってしまって、ようやく行ったマドリッドの日本食店でも思ったものが食べられなくて満たされず、持っていった海苔やらレトルトは底をつき、ますます和食欲は増すばかり。もう禁断症状だ。イライラするし、手が震えそうだった。

そこで登場したのがもらいもので家にあった、まあ食べなければ持って帰ってこればいいわ、くらいに思っていた「金時豆の甘煮」の缶詰だった。あまりにノーマークで忘れていた。
プルトップ缶をぐいっと開けて出てきたツヤツヤとした赤い豆。しょうゆの味は控えめで甘くて豆の風味の生かされた・・・なんて頭で考えることもせず、一心不乱に無言で食べ続けた。がっつき過ぎて「みっともない」と母に怒られそうな様だったと思う。
深さ5cmくらいの缶に入っているわずかな豆は1分もすればすぐになくなる。3軍選手だった豆の缶詰が、年俸5億円払いたいほどの活躍ぶり。メジャーデビュー。
実はこの旅は新婚旅行だったのだけど、半ば相手を睨みつけて奪い合いながら食べた。
あれが後の別れの原因だったとするならば、人間はつくづく動物だと思う反面と、食欲はお腹を満たすことだけではないと思う。

海外に住む友達が「離れてみて日本の良さがわかる」と切実に言うが、私達短期の旅行者の私はほんのごく一部だが、「食」でそれを感じることがある。
「あ〜、やっぱり家が一番や」と帰ってきて言う、それだ。

今は海外どころか、同じ日本でも移動がしにくくなってしまった。延長された緊急事態宣言で先が見えない状況が続き、「ステイホーム」で日本の嫌な部分が見えてきてしまう。
ようやく外に出られた時、心から日本の良さを実感できるだろうか。

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