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色と私

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青と黄色の深呼吸。(Heddar Harie by Erico)
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[恐れ]の残骸

色の学びからじぶんに潜りはじめた頃、じぶんの内に棲んでいた[恐れ]の、ラスボスみたいな感情と対面したことがあり、 その感情にフタして逃げるんじゃなく 「いいよ、一緒に生きるよ」って思えたのが2年前。 (漫画ナウシカのふるまいに救われたときの話) そこから徐々に [わたしを裁くわたし自身]から解き放たれて、あるがままリラックスして生きやすくなったなーと日々実感してるんだけど、 ときどき、 無意識の層から 小さな[恐れ]の残骸たちが ポコっと湧いてくることがある。 人間だも

光と闇と。清濁合わせ飲む

カラペハリエが今年5周年を迎えるのですが、 この活動をはじめたおかげで、この世界は「みんなちがうからおもしろい」ということが骨の髄まで浸透し、誰よりも影響を受けてきたのは、このわたし自身だと思っています。 いろんな人生経験を重ねるほどに、人はみんなちがうんだということが、そして、ちがうからこそ世界は彩り豊かなんだ、ということが、全方向からわたしの芯の部分に注ぎ込み、肚落ちする一方なのです。 コロナ禍という経験をへて、ここ数年、その実感はより確かなものとなりました。 マスク

生命を回すエネルギー[赤]

前回、「私に夜明けがきた」ことを[赤]によって感じられた体験を書きましたが、 きのう久々に、 行き先を決めず奔放に散歩をしているときに 公園を歩きながら気づいたことがあるのでシェアしてみます。 公園の木々が 一斉に芽吹き始めていて、 先端をよくみると、ほんのりと赤みがかっていました。 植物が成長するのに うんとエネルギーを使っている部分が ほんのりとした赤味から感じられました。 葉だけでなく花のつぼみもやっぱり少し 赤みを帯びていて。 あっちでもこっちでも、赤らみなが

陰極まって陽に転ずるときの赤の役割

コロナにかかって落ち込んだ時、 どん底を味わいきった頃に「もういいな」って思えた。 そのタイミングでカラペを作ってみたら、 赤いカラペばかりができた。 他の絵の具には手が伸びなかった。 塗っていた時の感情は、 「進みたい」「次に行きたい」 だった。 陰極まって陽に転ずるということはさまざまなところで感じられるものだけど、 身近なところでまいにち繰り返されていることのひとつに[夜明け]があると思う。 あたりが闇に包まれ、深まるだけ深まって、 いよいよ日の出、闇が光を受け

カラフルジャーニーを準備している(3)

いきなり結論からお見せする格好になってしまうが、 「カラフルジャーニー」こころの旅の目的地はどこかというと。 あなたの中の そして、すべての命の中の 愛 です。 一つの命が「自分」として生き抜くことは、 並大抵なことじゃない。 そこには一人一人のドラマがあり 日々いろんなできごとを体験して それにともなう いろんな感情をこころで感じて 私たちって生きている。 嬉しいこと楽しいこと、怒りや哀しみ、 いろんな感情=自分自身を理解したり寄り添ったりしながら 人間として毎日成

カラフルジャーニーを準備している(2)

色を体験して、 こころを味わった道のりは まるで「旅」のようだったなと感じた。 そんな視点から、 「カラフルジャーニー」という構想が湧きたった。 実際に外の世界を旅することが世界旅行ならば、 カラフルジャーニーは内なる世界を色でぐるっと味わうこころの旅 世界旅行が、視野を広げてくれるものならば、 カラフルジャーニーはものの見方を深めてくれるものになるだろう 恩送りとしての姿を思い浮かべたときに、 講座とかワークショップとかそういう姿はしっくりこなかったけど、 「こころ

カラフルジャーニーを準備している(1)

昨年、色彩自然学で色を学んだ私。 色と自然のふるまいに着目したら、ものの見方が一気に深まって、 人生がより味わい深く、生きることがより楽しくなった。 それまで何気なく見ていた 青い空や輝く太陽、木々や花が なぜその色をまとっているのかが感じられるようになったし それらがぜんぶ、 人間=つまりわたし自身にも対応していて 「わたしも自然の一部」ということを すみずみまで、味わえるようになったのだ。 この宇宙の神秘というか、 見事なまでに完璧に調和している自然に 感動しきり

一度、しっかりと離れるのが愛 その愛を受け取り 和合に向かうのが、愛 #個にして全 #全にして個 #創造 #自然は創造をやめない #種子は愛 #赤ちゃんは愛 #一つから分離 #一つなるものへ #ワンネス #光と闇 #色彩自然学

幸いの竜フッフール

幸の竜というのは、ファンタージエン国の動物の中でも最も珍しいものの一つだった。 その誕生は、 昔むかしの大昔。 あらゆるものが分裂し、この世が立ち現れた時にさかのぼる。 光と闇が 始まりと終わりが 天と大地が 分かれ、 空には雲が生じ、その雲も 真っ二つに分かれた。 光の雲の子は、フッフール、 闇の雲の子は、アルキメラといい、 どちらも竜の姿をしていた。 フッフールは大気と熱と溢れんばかりの歓びの子。 並はずれて大きな体にもかかわらず、夏空に浮かぶ雲のようにかろや

色と私(スピンオフ2) 物語の効能

失敗から 自分を責めちゃったとき、 読んだばかりの 風の谷のナウシカのワンシーンが ロールモデルとなってくれて 私を導いてくれました。 出典: 宮崎駿 著/風の谷のナウシカ6巻/徳間書店/1993年12月20日/p76~77 物語が[実際の自分]の器の中に注いでくれるもの ナウシカに重ねた私は、 失敗後に私を襲ってきた[自己否定・無価値感の感情]を まさに、このドルクの弟皇帝の姿に重ねました。 ナウシカがドルクの神聖皇弟を 「この者はすでに私の一部です」という姿が

色と私9 黒い情動

(深夜の記録) 今日はちょっと失敗というか 苦い体験があって、 そこからの感情の味わいを書き残しておこうと思ったのでトライしてみます。 自分がやらかした失敗によって、 襲ってきたのが[黒い影]でした。 はじめは、 失敗の事実を受け止めるのにキャパオーバーで涙が溢れ、 ようやくその事実を受け容れ始めたら 次に襲ってきたのが[黒い影]の気配。 その[黒い影]の存在は、 怖くて気味が悪くて居心地が悪くて その場に居たくなくなる感じ。 消えてしまいたい情動。 恥ずかしさ。失敗し

色と私8「緑」から見つけた私の[黄色]の本質

黄色:光に限りなく近い色 その本質は 放ちたい、発したい、外側へのエネルギー 先日、 私の中の、黄色の本質と向き合う出来事に遭遇した。 私には表現したい想いがあったのだけど、 その場の和を重んじるために、 言葉を飲み込んでその場をやり過ごす場面があった。 自分のせいで和を乱したくないから。平和が好きだから。 自分の見たい世界は「調和の取れた世界」だから。 とっさに自分の想いにフタをした。 しかし、 私の中で何かがモヤモヤとくすぶってしまった。 向き合う中で、自分の中

色と私 (スピンオフ)独占と共有、豊かなのはどっち?

前回の記事で、分極性について考えていたら、 [私] の対極は、[私以外・全]になるのかな? という気づきから派生して、 去年考えていた[独占]と[共有]に繋がったので、 そのことをもうちょっと言語化したくなり、今回はスピンオフ記事を。 [カラペハリエ]では、 ひとりひとり(個) が自由に生み出した色彩[カラペ]を みんなでシェアして[貼り絵]にします。 他の人たち(全) が作った[カラペ]で、自分の作品(個) を作る。 それによって、得られる色彩の豊かさ、豊かな創造

色と私 7 [色]のはじまり[世界]のはじまり

白と黒はどこからきたんだろう? 白と黒は、[明度]しかない無彩色。 厳密にいうと[光と闇]そのもの。 光と闇のはじまりのシーンは、創世記にも描かれてる。  (旧約聖書 創世記 1章より) なんにもなかった空っぽの世界に、[光]が生まれたから、 同時に、その対極に[闇]が生まれた。 こういうことって、身近なあらゆる物事に当てはまってるよな〜。 たとえば、 表と裏。 「表」が発生したと同時に「裏」という概念が現れる。 前と後ろ。 これも、こっち側が[前]と決まった