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色と私8「緑」から見つけた私の[黄色]の本質

黄色:光に限りなく近い色
その本質は
放ちたい、発したい、外側へのエネルギー

先日、
私の中の、黄色の本質と向き合う出来事に遭遇した。

私には表現したい想いがあったのだけど、
その場の和を重んじるために、
言葉を飲み込んでその場をやり過ごす場面があった。

自分のせいで和を乱したくないから。平和が好きだから。
自分の見たい世界は「調和の取れた世界」だから。
とっさに自分の想いにフタをした。

しかし、
私の中で何かがモヤモヤとくすぶってしまった。

向き合う中で、自分の中に抱えたモヤモヤは、
「発したい」という
持て余した私の「黄色性」であることが見えてきた。

思えば、そうやって押し込めることは、
私が私としてこの世の中を生きていく処世術として
身につけてきたことではないか、と見えてきた。

そんな行き場を失った[黄色性]のモヤモヤをなだめすかしながら、
色の学びのメンバーで「みどり」の本質に迫るチーム会議に出た。

みどりはどうして「無難な色」と言われるのか?
みどりはどうして「平和を象徴する色」なのか?
会議に参加するメンバーの感性が、私1人では体験できない物語へと連れていってくれた。

みどりをながめ、
みどりに浸り、
みどりに潜り、
みどりを食べてみて昇華するような体感を味わった。
(こういうとき、人間の持つ空想の力の凄さを実感する)

そうか。みどりの「あり方」ってそういうことか。
みどりよ、あなたのおかげで世界は調和してるんだね。ありがとう。

みどりに、そんなふうな感謝が湧いた。

会議の終わりに、
私が自分の内なる黄色性を解放できずに
くすぶってもやもやしていることを聞いてもらった。
話しているうちに、『やっと見つけてくれたね、私。』
と、黄色性は私にそう言って、浄化されていった感覚があった。

会議後、パソコン画面から離れて公園に行き、

新芽きらめく木立の中でしばらくボーーーーっと過ごした。

すると、急に、ストンと腑に落ちた。

私が[その場の和を重んじた]のは
私の中の[みどり]性が先立ったからだ。

黄色(光)と青(闇)の間の[みどり]が
無難つまり難を逃れる色のわけ。
平和を象徴する色のわけ。

黄色(光)の本質:求心力。私が私であろうとする力。自我強化。青(闇)の本質:遠心力
。私が私でなくなろうとする力。自己脱却。
(出典元:色彩自然学者 高橋水木氏)

その間に立って、折り合いをつけてくれるのが、[みどり]色。

私の中の[黄色]性に折り合いをつけてきてくれた[みどり]性。

私が自分の中の我慢させてきた
「黄色性」をヨシヨシ( T_T)\(^-^ )となだめたら
持て余した私の黄色性は、ほぐれてリリースされた。

もやもやしたおかげで、
自分の持つ光の性質(発したい)を
[みどり]を隠れ蓑にして抑え込むクセに気が付けた。

抑え込むから反動もある(→モヤモヤ)。

もうオトナなんだから、抑え込む方法とは違ったふるまいを覚えたいなと思った。これはすごい発見。

ほんとだ。私の中に、全ての色が息づいている。
全部を味わいながら、黄色と青の呼吸をしている。

(カラペ art work by tsubochan)

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