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離島看護師を経験して、印象に残ったのは人の死に方と生き方、幸せの本質

海と島が大好きな私は、離島の看護師として半年働いたことがある。
大阪の大規模病院で働いていたときとのギャップは大きかった。

私の経験した離島の看護師

・日勤の受け持ちは12-16人
・夜勤の受け持ちは20-30人
・HCUの受け持ちは2-6人
・内科、外科、療養病棟、と分け方がざっくり
・緊急時は外科の入院を内科で受けたり、内科の入院を外科で受けたりする
・病院内のスタッフみんなが知り合い
・資源が限られており、大阪では使い捨てだったものが、離島では使い回し
・ベッドの稼働が手動だったり、ベッドの間隔が狭かったり、不便なことが多い
・窓から見える海や海から昇る朝日が幸福

大阪の病院に比べ受け持ちの人数が多く、初めは患者さんを回りきれず、どうやってこの人数を見たら良いのか、病気のアセスメントも追いつかず、焦りや不安、恐怖にまみれた。こんな人数見れない、患者さんのこと見れてる気がしない、と自分の無力さを感じたこともあった。「あなたは誰?どの疾患?なんの処置があったか?いつ退院?指導ある?」と頭は常にフル回転、メモを見たり書いたり、カルテを見直したりに入力したり。
「こんな人数見れない」と不安がって悲観していたが、いつの間にか見れるようになっていた。カルテの情報収集もポイント抑えたり、必要時に必要な情報収集したり、都会に比べ回転率も低いため患者さんを覚えたら楽だったり。どうすれば看れるようになるのか、考え実践しながら、看護していくことを楽しめていたし、臨機応変に対応できるようになり、自分の自信にも繋がっていった。出来ないことが、出来るようになっていく、これは仕事の楽しみのひとつ。

印象に残ったのは、人の死に方と生き方

死期が迫った胃瘻の患者さんが、自宅退院し、自宅では医師の許可で胃瘻にビールやヤギ汁を投入していた。大阪の病院では最期まで胃瘻食を投入していたから、好きな物を自宅で投入していることに驚いたとともに、心温まった。食べたいものを身体に入れる、これは究極に幸せな最期。死ぬ直前に人が欲するものは、トマトやお好み焼きなどの自分の好きな食べ物だと、臨床経験で知った。好きなもの・美味しいものを食べることは、幸せの本質。死ぬ間際に求めるのは、幸せの本質ってことだった。

人工呼吸器を装着している患者さんの家族は、命の期限はあと数時間に迫ったとき、家に帰って死を迎える、つまり、患者さんを連れて帰る、だった。急遽、救急車を手配し、自宅へ戻ったが、自宅まであと少しというところで亡くなった。自宅へ帰るとき、看護師へ挨拶に来た家族は、心からの笑顔で、嬉しそうで、感謝していた。写真撮ろうよ!と看護師と記念撮影していたほど、陽気だった。笑
救急車に付き添った看護師によると、亡くなったとき家族は安堵の表情をしていたそう。「お父さん、もうすぐで自宅だからね。家に帰って来れて嬉しいね。」と穏やかに語り掛けていたそう。きっと患者さんも家族も満足の最期だったのだろう。医療者にとっても満足だった。
大病院なら、人工呼吸器装着の患者さんを今すぐ連れて帰りたいと言ったら、難色を示すだろう。実現も困難かもしれない。でも、それが出来るのが地域に密着する病院、そして家族と医療者の信頼がある病院、だと感じた。誰だって死を迎えたいのは、病院のベッドよりも、長年住み慣れた温かく心地の良い自分の家だと思う。心地よいところにいる、それも幸せの本質。

慢性呼吸器疾患の患者さんが、離島での治療に限界があるため、本島へ転院するか悩んでいた。離島に住んでいる人が、故郷を離れるのは、容易なことではない。家族とも友人とも会えなくなる。彼も悩みに悩んで、転院することを決めた。天候の関係で、ドクターヘリを飛ばせるのは2日後。そして病状は急激に悪化し、ヘリが飛ぶ予定の前夜に亡くなった。
離島の治療には限界があり、救急の患者さんも、天候の関係で、ドクターヘリが飛べず、亡くなるのを見てきた。もし、天候が安定していたら、ヘリが飛べていたら、都会の病院に運ばれていたら、この人は助かっていたのだろうか、そう考えたこともある。都会の病院より、離島の病院にいる方が、無力感を感じることが多いのかもしれない。でも、どうしようもないこともある、仕方ないこともある。自然界に住むことは、思い通りにいかないもあるし、自然界に住むからこそ生死があるのかもしれない。これが自然な流れなのかもしれない。
延命治療により命の期間が延び、幅広く奥深い治療機器もあり、医療発達している都会の病院。資源も限りがあり、自然と共に生きる離島の病院。もしかしたら、自然と共に生きる病院の方が、人間は命に逆らわずに生きて、死ぬのかもしれない。自然な流れに沿った死に方を出来るのかもしれない。
生きるとは?死ぬとは?を自分に問いかけた瞬間が多くあった。

都会の病院と離島の病院、全く違い、どちらが良い悪いもない、どちらが働きやすい働きにくいもない。病院勤務といっても、病院によって大きく違うということを知った。

離島で看護師をして学んだのは、自然な人間の死に方、生き方を考えること、だった。

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