見出し画像

「何もしない、何もすることがない期間」の大切さ

人生で、何かをしなければならないことなど、何一つないはずなのに、「ご飯作らないといけない」「仕事をしなければならない」「買い物や銀行に行かなければならない」など、やるべきことに溢れ、「何もしない時間」が全く取れないときがある。

人はみな自由で、本来は「何もない時間」が平等に1日24時間あるはずなのに。

私が「何もない時間」に初めて向き合ったのは25歳、看護師を辞めてオーストラリアにワーホリに行った時のこと。看護師という職を失い、友達や家族がいないという状況は「何もない時間」と向き合うことが過酷だった。「何もない時間」=「自分と向き合う時間」だった。初めて無限に自分と向き合う事に苦痛でしかなかった。

しかし少しずつ自分と向き合う時間を、自然と過ごしたり、散歩したり、読書したり、物思いにふけったり、自分について考えてみたり、過去を思い巡らしてみたりするようになった。幸せに溢れる時もあれば、不安に駆られる時もある。「何もすることがない」と思うときもあれば、「あれもしたい、これもしたい」と思うときもある。

29歳の今も、「何もしない時間」がある。ニュージーランドから帰国したとき、4週間実家で「何もしない期間」を楽しんだ。この時新たに始めたのは、ピアノとオーガニックの勉強。そしてひょんなことから、コロナクラスター支援もスタートすることになった。

今、コロナクラスター支援を終え、3週間実家で「何もしない期間」を過ごしている。次はオーガニックファームで働く予定。忙しかった支援期間やニュージーランドをふと思い出し、本屋を楽しみ、家族との時間を楽しむ。「何もしない時間」が、無駄な時間、自分が腐っている時間、ニートな時間、と悲観的にみえてしまうときもある。でも、この「自分と向き合う時間」こそが、人生により深みを出し、豊かなものにするんじゃないかと思う。だって、この時間があるからこそ気づける幸せがたくさんあるから。ゆっくり自分の心と向き合うことで、新たな感情に気づくことができるから。

忙しく過ごす日々に、ふとある「何もしない時間」がとても大切。その時間はどんな過ごし方をしても良い。ダラダラしようが、寝て過ごそうが、なんだっていい。そんな自分にオッケーを出すことも大切だ、と学んだのも「何もしない時間」だった。

「自分と向き合う何もしない時間」を、「自分を甘やかす時間」にもして、私の人生がより輝くものになりますように。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。